大阪 城東区の内科、循環器内科クリニック。循環器疾患、生活習慣病の管理、花粉症などアレルギー疾患、禁煙外来対応。
“ドクトル・イトウの地球の果てまで“ 世界60ヶ国以上を訪れた、院長のちょっと変わった見聞録
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アイスバブル。湖底から発生したメタンガスが凍って出来た現象。
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今回、新しいエゾフクロウの祠へ案内してもらった。枝が邪魔で中々わかりにくいのだが、祠からちょっと顔を出している。
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人の気配を感じてか、奥へ引っ込んでしまった。
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静かにじーっと待っていると、
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ひょっこりはんの様にこそっと顔を出してきた。
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自分にとっては、初めてのポーズで、愛らしかった。
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いつも通っている祠をのぞいてみると、空っぽ。諦めかけていたら、地元のカメラマンが来て何やら狙っている。
どうやら祠から出て、木の枝に止まっているらしい。教えてもらって望遠してみると、なんと二羽をゲット。
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院長にとっては初めての、ペアのエゾフクロウ。写真では見たことはあったが、実際には中々見ることが出来ない。
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いつもの祠には、いつものように居てくれた。前日は空だったそうだ。
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この祠はすでに観光名所になってしまっているのだが、観察位置から祠までの距離がちょうどよく離れていて、枝も少なく、祠も大きいので、よく見える。ただこの祠は崩壊の危機で、地元の方が補強工事をしている。
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森の守り神と言われるだけの貫禄がある。
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じーっとしているのだが、時々面白い動きをする。
「ドクトル・イトウの地球の果てまで」はもう15年目に入った。
院長にとって、年中行事となってしまった冬の鶴居村、今年もやって来た。
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早朝にタンチョウの寝ぐらを巡る。タンチョウは餌の少ない冬場、日中は給餌場に集まり、夕刻になると、それぞれの寝ぐらに戻っていく。凍らない川が、彼らの寝ぐらになる。
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この日の釧路はマイナス15度、早朝の音羽橋はマイナス20度ぐらいかもしれない。天気が良く、いい感じに「ケアラシ」が見られた。
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この「ケアラシ」の中のタンチョウを撮るために、世界中から写真好きが集まってくる。日の出前から場所取りをして、日の出を待つのだが、橋の上なのでとにかく寒い。また、川の整備をしたため、タンチョウの寝床が橋から年々遠くなっていっている。
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しかも「ケアラシ」は気温や天候等の条件が揃わないと、なかなか見ることができない。
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キタキツネを見つけた。冬のキタキツネは毛がフサフサしていて愛らしい。
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雪原へ戻っていくキタキツネを追いかけていくと、
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そこには、なんと二羽のタンチョウが。
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もちろん、キタキツネはタンチョウを襲うこともあるようだが、
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この日は、お互い警戒することもなく、通り過ぎていった。
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エゾジカ、それも立派な角を持った、三頭のオスに遭遇。
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エゾジカのオスは単独で行動するが多いので、これもまた珍しい。
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給餌場(伊藤タンチョウサンクチュアリ)に戻って、ゆっくりタンチョウを観察。
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この風景とタンチョウの鳴き声を聞くと、鶴居村に来たんだなあと再認識する。
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頭を毛に埋めて、団子になったタンチョウ。
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夕暮れ少し前から、タンチョウは給餌場から自分たちの寝床へ帰っていく、その飛んで行く姿を求めて、菊池牧場へ移動する。
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地元の人によると、この日は飛行ルートを変えたらしく、あまり多く見ることはできなかった。
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夕陽に羽を染めたタンチョウ。
ラオスのルアンパバーンといえば托鉢風景。院長の参加してみた。
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早朝6時前、おしゃれな街並みも静寂そのもの。
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托鉢の準備をする女性たちが忙しそうに働いている。
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いわゆる観光客向けに椅子を並べ、托鉢のお供え用のお菓子ともち米、托鉢セットを売っている。
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靴を脱いで、椅子に座って、僧たちを待つ。
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托鉢が始まった。
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結構なスピードで通り過ぎるので、けっこう大変だ。
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ひとつまみのもち米とお菓子を、托鉢のかごに入れていく。
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現地の方の仕草はやはりさまになる。
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1時間足らずで、托鉢は終わる。
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この托鉢を観光化されていると揶揄する意見もあるのだが、それが現地へのお布施となるのであれば、それはそれでよいのではと思う。
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僧たちが通り過ぎれば、また慌ただしく撤収作業が始まる。
アジア最後の秘境といわれるラオス。首都ヴィエンチャンの評判はあまり良くないのだが、世界遺産ルアンバパーンは治安もよく、食事も美味しくて、また訪れたい街だ。
ルアンパバーンに来たならば、必ず行く名所、クワンシーの滝。
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駐車場から、なんと、電動カートで入口まで向かう。
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駐車場に広がる露天。
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川魚などが串焼きで売られている。
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何故か卵まで串焼き。
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紅芋とバナナの丸焼き。このバナナ、いわゆる日本のバナナではなくて、生では食べれない。焼くと甘みと酸味で、これが美味。
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色んな滝を見ながら、遊歩道を登っていく。
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入水可能な池もある。
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階段状の滝がここの特徴だ。
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滝上に滝がある。
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緑に包まれて、なんとも美しい。
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ここが最上段。
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麓の町で昼食。ラオスの象徴、象がいた。
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象は耳で体温調節すると言われるが、間近で見ると、象の耳は赤い。
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余談にはなるのだが、ラオスの観光地の男性用トイレは、なぜかかなり高い。身長175cmの院長が、つま先立ちでなんとか届く。ラオス人は特に大きくはないので、フランスサイズなのか。。。
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パークウー洞窟を目指して、ボートでメコン川を進む。
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見えてきた。
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河岸絶壁の洞窟に作られたパークウー洞窟。
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パークウー洞窟は断崖絶壁の洞窟に作られた寺院だ。
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中には大小さまざまな仏像が、約4000体並んでいる。
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周辺の住民が毎年、仏像を奉納してくのだそうだ。
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この光景に、仏教徒としては、何故か心が落ち着く感じがする。
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メコン川に面して、不思議な世界が広がる。
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寺院の出店で見かけた子ども。何とも可愛らしい。
1年前まではその名前すら知らなかった"ルアンパバーン"。YouTubeで偶然見つけた旅行記で、街全体が世界遺産の街があると知った。ラオスの古都、ルアンバパーン。ラオスは、自分がまだ行ったことのないアジアの国。無性に行きたくなった。
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欧米では有名な観光地のようなのだが、日本からのアクセスはなかなか不便だ。乗り継ぎのバンコクでの光景。おでんが普通にODENで売っていた。これには驚いた。
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バンコクでプロペラ機に?乗り換え。
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ルアンバパーン空港に到着。暑い!
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ラオスは元フランス領。街の風景もその面影を色濃く残している。
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ルアンバパーンはメコン川沿いに栄えた古都。
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ミャンマーもそうだったが、街は結構きれい。
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ラオスは敬虔な仏教国。古都ルアンバパーンにはいたるところに寺院がある。
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どこかミャンマーに似ているような。
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仏様のお顔も独特で、何か穏やかに感じる。
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狛犬は神社という感じがするのだが、調べてみると、仏教と共に伝来したのだそうだ。ラオスの狛犬は可愛らしい。
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モノトーンな日本の寺院では見られない、朱と金色の世界。
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なぜか、ビートルまで奉納されている。
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ラオスの寺の中で、最も美しいと言われる ワット・シェントーン。
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仏様のお顔も日本とはやや異なる。
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曼荼羅の世界。
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マイトーン(黄金の木)とよばれる有名なモザイク画。宇宙を感じる。
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街なかの学校。
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暑い中も、子どもたちは元気に走り回っている。
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市場の様子。ミャンマーもそうだったのだが、市場独特の匂いが少なく、臭くない。
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商品もきれいに並べられている。
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道路は喧騒の世界。傘を指してバイクは当たり前。
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街中でよく見かけた、旧ソ連国旗。
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スターリンやプーチンのマトリョーシカ。この国が共産国であったことがわかる。
八甲田は紅葉目当てに、10月にばかり訪れていたが、地元の方から、5月の奥入瀬がいいよと聞き、今回チャレンジした。
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紅葉時期の奥入瀬は何度か訪れていたのだが、新緑時期は初めて。
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地元の人が勧めるだけあって、新緑の緑が鮮やかだ。
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渓流をスローシャターで楽しむ。
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緑のグラデーションと渓流の白が美しい。
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雪解け間近の新緑は、躍動感を感じる。
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苔むす風景は、屋久島の"もののけの森"を彷彿させる。日本に生息している約1800種類の苔のうちの300種類以上が奥入瀬渓流に生息してるとのこと。"奥入瀬渓流コケさんぽ"に参加して、ルーペを持って、苔について教えてもらった。
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マイナスイオンをいっぱい吸ってリフレッシュ。
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遊歩道の終点、新緑の銚子大滝。
コロナ禍が開け、2024年の鶴居村は外国人でいっぱい。とんでもない状態で、残念なマナートラブルもちらほらと。
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早朝の撮影は、大混雑の音羽橋を避けて、独自ルートで。
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人気の少ない橋から、タンチョウのねぐらを撮影。
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すでにお目覚めで、餌場へ飛び立つ準備中。
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やっぱり、日の出前、静寂の中のタンチョウは、独特の美しさ。
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モノトーンの世界。
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いったん宿に戻って、朝食後に餌場で。
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このタンチョウの呼気の湯気はマイナス20度ぐらいでないと見られない。
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やはり頭頂部の紅が美しい。
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独特の端整な顔つき。
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タンチョウはつがいで行動するが、対称形もおもしろい。
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この時期は求愛ダンスが見られる。
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鳴き声も独特で、華麗なダンスを見せてくれる。
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この時期を過ぎると、産卵、子育てのために、湿原の奥に飛び立ってしまう。
ちなみに、タンチョウは渡り鳥ではありません。
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いろんな姿を見せてくれる。
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飛び立つ光景もこれまた美しい。
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白黒のタンチョウ中になんか色の違う1羽が。
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迷い込んだ"マナヅル"らしい。
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菊池牧場からタンチョウが給餌場からねぐらへ帰る様子を撮影。
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連隊を組んで夕暮れを飛ぶ姿はこれまた美しい。
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色づいた空にタンチョウの白黒が映える。
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飛ぶ姿も上品だ。
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夕日とタンチョウ。
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絵に描いた様な光景だ。
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エゾフクロウの様子はというと。祠が壊れそうだとのことで、補強工事がされていた。
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いつものようにいました。でも1羽。
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院長はまだ2羽いる姿を見たことがない。
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シラルトロの祠にも、いつものように居てました。
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のんびりと。
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エゾジカも居てました。
2019年から10月の恒例としている、八甲田の紅葉。
今年もやってきた。八甲田の紅葉は時期を見極めるのが非常にむづかしい。1週間ずれると大きく景色が変わる。
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緑、黄、紅と三色入り混じる時期が一番美しいと思う。
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地獄沼の紅葉
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睡蓮沼の紅葉
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沼越しの北八甲田の山並みと紅葉のコントラストが美しい。ぼーっと眺めていたい景色だ。
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八甲田ロープウェイからの景観。
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高度とともに3色が移り変わっていく。
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毛無岱の紅葉。
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八甲田ロープウェイは上りも下りも楽しませてくれる。
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八甲田の絶景といえば蔦沼(つたぬま)。日の出前から展望デッキに多くの人が待ち構える。
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少しずつ夜が明けてきた。
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紅葉の紅だけではなくて、そこに差し込む朝日が独特の紅を生み出す。
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撮影には無風というのも大きな条件。無風の状態では、その紅葉が湖面にも映し出される。
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運良く朝日が差し込んできた。紅が映える。
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刻々と色が変わっていく。
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風が吹き出すと湖面が揺れて、魅力が半顔してしまう。
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展望デッキは、明るくなった頃にはこの混雑状態。混雑を避けるために、数年前から入場は抽選制になっている。
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見事な景色。これは一見の価値ありだ。
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最後のビュースポット、空港への帰り道に城ヶ倉大橋の紅葉を。
石垣島の友人から、日本最南端の島、波照間(はてるま)はすごい!と何度も聞かされてはいたのだが、行きたくてもなかなか行けない島なのだ。石垣島からは周辺の離島へのフェリがー頻繁に往復している。ほとんどの離島は内海にあるため、海況は比較的安定しているのだが、定期航路フェリーの中で、波照間便だけは外海の航路で、海況が荒れてすぐに欠航になってしまう。つまり、行くには行けたが、帰ってこれなくなるリスクが有り、タイトな旅程の人にとっては、なかなか行きづらい島なのだ。今回は石垣島滞在中に、偶然にも波照間への海況が安定しているとのことで、思い切って、日帰りで行ってみた。
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有名なニシ浜ビーチ。
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とにかく、透明度が高く、幻想的に美しい遠浅のビーチだ。
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このビーチで数時間だけ過ごして、石垣本島へ戻っていく人も多いようだ。
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入江の漁港でも、この透明度と青さ。
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島の人に勧められて、防波堤に登ってみると、そこにはとんでもない絶景が。
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これが波照間ブルーなのか。
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沖縄本島に初めて行って、青い海に驚き、石垣島や離島に行って、さらに美しい海に驚いたが、この波照間ブルーは、遥かにそれらを超えた美しさだ。
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しかも防波堤からテトラポット越しに見られるのだ。
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何時間でも眺めていられる気分になる。
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世界中、いろんな海を見てきたが、自分の中では、ここが一番だと断言できる。
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島の南東には、高那崎(たかなざき)という岬があり、荒々しく波が打ちつけている。
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そこには、日本最南端之碑が。
波照間は、星がとんでもなく美しいことでも有名らしい。次回は是非、泊まりで訪れてみたい。
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夕暮れどき、足場の悪い雪の上に三脚を立てて構えていると、本当に「ひょっこり」と顔を出した。
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そーっと出てきた。
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しっぽを背中に貼り付けて、何ともかわいい。
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すすっと木を登って、枝の上で一心不乱に木の芽を食べ出した。
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丸まって食べてる様子が、かわいい。
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食事中は結構同じ場所にとどまってくれるので、撮影は一見、やさしそう思えるのだが、超望遠での撮影であること、日が暮れてどんどん暗くなってくるのと、常にモグモグと口を動かしているので、ピントを合わすのが至難の業。
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小さな枝の上で、必死に木の芽を食べている。数メートルぐらいまで近づいても反応しない。
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初めてのモモンガに、こちらもテンションMAXで、あちらこちらでのモモンガの行動に、こちらが右往左往の状態だ。一匹が木に登りだした。
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じっと構えている様子で、
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なんか飛ぶような気配。
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飛びました!!イメージした通りの滑空スタイル。ちなみに「モモンガ」と「ムササビ」の違いは大きさ。エゾモモンガは頭と胴体で15センチほど、ムササビは30から50センチもあるそうで、空飛ぶ座布団と評されるそうだ。
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これ、本当に1秒ぐらいの出来事。
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よほど慣れたひとでないと、狙って撮れる様なもんじゃない。
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念のためにと、iPhoneを三脚に固定して、ずっと動画を撮影していて、それに偶然、2回の飛行が写っていたというわけだ。
モモンガが実際に飛ぶ様子をムービで。これでも2倍スロー再生にしている。実際は1秒ぐらいのほんの一瞬。
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最後に、帯広の自然公園でエゾリスを撮影。
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こちらは、いくらでも出てきてくれる。
「ドクトル・イトウの地球の果てまで」も14年目に突入、開業以来、何とか途絶えることなく続けている。今年こそ海外ネタをと考えているのだが、年始はまたまた北海道からスタート。今回は帯広で「エゾモモンガ」の撮影に挑戦。
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十勝川も雪化粧。鴨がたくさん飛来している。
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十勝川で有名な白鳥。
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タンチョウを発見。
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雪景色にタンチョウはよく似合う。
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タンチョウは、他の鳥とはひと味違って、どことなく気品がある。
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森に入っていくと、エゾリスが出てきた。
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結構大きいのだが、とぼけた表情が愛らしい。
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野鳥も色々やって来る。
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シジュウカラをうまく撮ることができた。
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突然、シマエナガがやって来た!!
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やはりじっとしてくれないので、今回もこれが限界。でもラッキーだった。
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これが、エゾフクロウの巣穴。エゾフクロウの撮影は夜明け前と日没時のそれぞれ30分のみしかチャンスが無い。
夜行性なので、朝は巣穴へ戻る様子を、夕は巣穴から出てくる様子を狙う。しかも、予定通りに現れてくれるとは限らない。この日も早朝から撮影に臨んだが、朝は結局現れなかった。
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ラストチャンスの夕方、巣穴から、ひょっこりと。。
特に目的も無く、友人を訪ねて石垣島へ。
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インスタで有名な、「名蔵の一本木マングローブ」、あいにくの雨で残念。。
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石垣島にもフクロウがいるとの噂を聞き、早々、ナイトツアーへ参加。昼間は普通の自然公園の中を、耳をすませて、暗闇の中を車で進んでいく。早々に「アカショウビン」を発見。
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はじめて見る鳥に興奮。南国らしい鳥だ。カワセミの仲間らしい。
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そのすぐ近くで、今度は「リュウキュウアオバズク」を発見。
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眼が大きくて、かわいいフクロウだ。
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鳴き声を頼りに探し回っていると、とうとう発見、「リュウキュウコノハズク」。
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じっとこちらを睨んでいるかのような、精悍な顔つき。
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こちらは、かっこいいフクロウだった。天気には恵まれなかったが、鳥には恵まれた石垣島ショートトリップだった。
一度は行ってみたかった「雪の立山黒部アルペンルート」、「雪の大谷」で有名だが、4月中旬から6月下旬までの限られた期間しか行くことができない。
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「立山黒部アルペンルート」の起点、室堂駅。この期間は定期バスでしか来ることはできない。
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室堂の景色、一面の銀世界。
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ハイキングルートも池も雪で全くわからない。
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雪の大谷を歩いて散策。この年の高さは最高18メートル。
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バスと比較するとその高さがよくわかる。自分がイメージしていた景色と少し違う。昔の写真と見比べてみると、道路が2車線になっている。以前は一車線だったので、バスのすぐ横が雪の壁という感じだった。今はGPSを頼りに掘り進んで行くそうで、技術の進歩で2車線の道路を掘ることができるようになったのだそうだ。
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今回のもう一つの目的は、ライチョウを撮影すること。
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保護色でわかりづらいが、写真の真ん中にライチョウ発見。
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寄ってみると。
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これがライチョウのオス。
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絶滅危惧種のライチョウを、はたして撮影できるのかと心配していたのだが。。。
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ライチョウを見つけるのは意外と簡単だった。ライチョウはハイマツという低木の中を済みかとしていて、ハイマツの周辺で人だかりができているところを見つければ、以外と簡単に遭遇できる。
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ライチョウには天敵が多く、人間は襲わないことがわかっているので、天敵から身を守るために、敢えて人間に近いところで生活するらしい。
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真っ白い方がメス。
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仲良くつがいで。
近年、大ブレイクしている「シマエナガ」。ワシの撮影に来た風連湖で、ひょんなことからシマエナガの撮影をすることができた。
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このシマエナガ、北海道じゅうに生息していて、遭遇することはそう珍しいことでは無いそうなのだが、撮影するとなると、かなりの高難度。
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とにかくじっとしていない。来たかと思うと、すぐに飛んで行ってしまう。
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シジュウカラとシマエナガのツーショット。
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羽を広げるとこんな感じ。
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スズメかな?
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ハシブトカラ。シマエナガを待っているといろんな鳥を見ることができる。
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シマエナガが必ずやってくるという場所で、三脚を立ててじっと待つ。するとシマエナガの群れが突然やってくる。
本当にじっとしてくれない。枝から枝へ、あちこちとび回って、数分でさっと消えてしまう。
数十分まっていると、またやってくる。この繰り返しで、撮影はドタバタ。
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ペアでパチリ。
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シマエナガのこの愛らしい姿は冬だけのようで、冬毛がそうさせているそうだ。夏は普通になってしまうらしい。。
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羽を広げた姿も、なんか独特。
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なかなかこっちを向いてくれない。
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シマエナガを待っている間に、アカゲラ(キツツキ)をゲット。
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やっぱり、小さい目がなんとも愛らしい。
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これが今回のベストショットかな。
根室半島の付け根にある風連湖は、羅臼の流氷船のワシと共に、ワシ撮影では有名な場所だ。
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湖の真ん中にオオワシとオジロワシがまるでカラスの群れの様に集まってくる。それを撮影しようと、カメラの三脚がずらりと並ぶ。
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元々は漁師さんが、採れた魚の残りを「捨てる」のを目当てにワシが集まりだし、それが冬の風物詩になったようだ。
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茶色い方がオジロワシ。
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餌に群がる姿は、オオワシもオジロワシも関係なく、まさに取り合い。
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色が黒白でくちばしがオレンジなのがオオワシ。
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日本最大の猛禽類は羽を広げると大迫力、
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飛んでる姿は、なんともカッコいい。
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乱舞という感じだ。
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他の地域では、一羽見つけても大興奮なのに、これではありがたみが無くなってしまう。
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湖のほとりの林を見てみると。
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まさにワシのなる木だ。
今回、知床半島から根室周辺の撮影を計画していて、「野付半島」という名前を初めて知った。自然が作り出した何とも珍しい砂嘴(さし)と言われる地形で、砂州の様なものだろうか。全長は約26kmもあり、日本最大とのこと。
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この半島で囲まれた部分が、冬は凍り、何とも荒涼とした景色を作り出す。
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「この世の果て」なんて表現が使われたりする。
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自然の宝庫でも有り、オオワシやオジロワシ、野生のエゾジカやキタキツネが出没する。
春、夏には様々な野鳥や、高山植物を平地で見ることができるらしい。
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目の前で見るエゾジカは、がっしりと大きく迫力がある。
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角を突き合わして、喧嘩をはじめた。
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これが「この世の果て」と言われる、トドワラ(立ち枯れしたトドマツの林)の景色だ。
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南に2時間ほど南下して、根室半島の付け根にある風蓮湖へ。
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ちょうど夕暮れ時に到着し、遊歩道を歩いてみた。湖はうねりながら凍っている。
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夕日が真上に伸びている。
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調べてみると、「太陽柱(サンピラー)」という寒冷地で見られる珍しい現象らしい。
以前より、一度は見てみたいと思っていた、流氷。この時期に知床に来れば見れるものと思っていたが、流氷の状況は日によって異なり、岸に寄ってくる日もあれば、遠ざかる日もあるらしい。
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今回は羅臼の港から、船で流氷の中を進み、エサを求めてやって来るワシを撮影するというツアー。
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運良く、見渡す限り、流氷が広がっている。
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流氷とワシを求めて、世界中から写真好きがここに集まってくるらしい。
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極寒の中、皆、デッキに出て夢中で撮影する。
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何とも不思議な光景で、ワシたちが群れをなしてやって来る。
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ここには2種類のワシが集まってくる。
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ひとつが、このオジロワシ。
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色は茶色ですごく精悍な顔立ち。
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羽を広げると、またカッコイイ。
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目つきが鋭い。
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飛んでる姿も雄大でカッコイイ。
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するどいくちばし。
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もう一つが、オオワシ。
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色は黒白で、オレンジのくちばしが、オジロワシよりも大きいのが特徴だ。
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こちらも、青い空と白い雲、流氷とのコントラストが美しい。
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羽を広げた姿には迫力がある。
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ワシどおしの小競り合いも面白い。
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オジロワシとオオワシのツーショット。
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この2種類のワシどおしが仲が悪いというわけでは無く、混ざり合っている。
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大きく翼を広げた姿は雄大だ。
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着陸してくる姿は、怪獣ラドンのように見える。
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と言うよりも、怪獣ラドンのモデルはオジロワシではないかと考えてしまう。
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魔法使いのおばあさんのようにも見える。
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あちこちで色んな姿を見せてくれる。
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みんな、色んな方向にレンズを向けて撮影している。
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船からエサの魚を撒くのを知っていて、ワシたちは集まってくるのだが、野生のワシには違いない。
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これだけのワシが群れて集まる場所は、世界でも珍しいらしく、世界中からカメラマンが集まってくるのだそうだ。
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院長の今回のベストショットかな。。
今回は自身初の流氷とワシの撮影に知床の羅臼へ。
初日は夕刻に到着し、そのまま、シマフクロウの撮影で有名な"鷲の宿"へ直行。
2000年の夏(第192回)に訪れから、2度目の訪問だ。
横に15mぐらいはある撮影小屋の窓の前には、すでに望遠一眼をセットした三脚でぎっしり満員状態だ。夜7時より、長い長い待ち時間が始まった。シマフクロウの出現を待って、皆同じ景色を眺めながら、ひたすら待つ。恐らく夜12時頃までは、20人以上はいたと思われるカメラマン達は徐々に減っていき、午前4時過ぎには、老夫婦と院長の3人になってしまった。ちなみに前回の訪問時も、最後の最後、午前5時過ぎにシマフクロウがやって来た。今回も開き直ってねばってみた。
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すると、午前5時過ぎに、本当にシマフクロウがやって来た。
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中々、いい角度に向いてくれない。
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少しこっちを向いてくれた。
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今回は方向が悪い。
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背を向けてエサを食べ出した。
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最後のひと飲み。
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そして、とっとと飛び立っていってしまった。でも院長は遭遇率100%。
2日目の朝はマイナス26度まで冷え込んだ。完全防寒して、三脚の場所取りに、夜明け前の真っ暗闇の中、音羽橋へ向かう。
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少し夜が明けてきた。"けあらし"が起こっている。この雪裡(せつり)川は、地下水が湧き出た川で凍結しないため、極寒の日には、川面の水蒸気が冷やされて"けあらし"とよばれる霧が立ちこめ、幻想的な景色となる。
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この場所を訪れるほとんどのカメラマンは、この"けあらし"を求めてやって来る。
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とにかく寒い。気温はマイナス26度だが、橋の上はさらに冷え込む。
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"けあらし"のなかのタンチョウは本島に幻想的で美しい。
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朝日が差し込んでくると、輝き出す。
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今年は美しい"けあらし"を見ることが出來た。
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いつもの祠に立ち寄ってみると、
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いました、いました、いつものように和やかに。
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この祠では、つがいのエゾフクロウを見ることが出來るようなのだが、未だにつがいに出会えた事は無い。
釧路でのタンチョウ撮影も3シーズン目。なんかライフワークになってしまいそうにハマっている。
マイナス20度以下になる極寒、モール泉という日本では数少ない温泉と美味しい食事。自分には極楽だ。
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初日は日の出前の音羽橋から、タンチョウの寝床を狙う。
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この日は気温が少し高めで、けあらしが起こらず、タンチョウ達がはっきりと見える。これはこれでいいのだが、来ている人達は皆、けあらしを待っている。
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タンチョウ達が餌場に向かって飛び立ちだした。
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今回は、いつもと違う、シラルトロのエゾフクロウから訪問。
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いました、いました。祠から身を乗り出して外を見ています。
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中でしゃがんだ横顔。
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正面向くと、やっぱり微笑んでいるような。ただ、まぶしいだけなのか。。
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ぱっちり眼を明けてくれた。
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給餌場に戻って、タンチョウの声を聞きながら撮影開始。
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つがいの様子をずっと追いかけていると、
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本当に仲がいい。
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群れで飛んでる姿が、特に美しいのだが、
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これを撮影するのが特に難しい。院長にはまだまだ腕不足。
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夕暮れの菊池牧場。給餌場から寝床へ帰るタンチョウを狙う。
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今回は夕焼け空までにはなってくれなかった。明朝はかなり冷え込むらしい。けあらしに期待。
久しぶりの更新、ドクトル・イトウの地球の果てまでも13年目に突入だ。
海外の絶景へはまだ行けそうにないのだが、今回は、以前から行きたいと思っていた奄美大島を訪ねた。
2021年に世界自然遺産に登録されており、注目度が高まっているスポットだ。中でも、動物好きの院長は、奄美大島にのみ生息し、絶滅危惧種に指定されている、"アマミノクロウサギ"を撮るのが最大の目的だ。
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まずは奄美大島の美しい海から。奄美群島の南端に位置する加計呂麻島周辺をクルーズ。
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"青の洞窟"探検ツアーへ参加した。ここが洞窟の入口。小型のボートに乗り換えて中へ入っていく。
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幻想的なブルーの世界が広がる。院長にとって青の洞窟は2回め。イタリアのカプリ島ではなくて、クロアチアのVis島以来だ。
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周辺では、海へ落ちていく滝なども見ることができる。
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加計呂麻島に何やら人工的な洞穴の入り口がある。
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上陸して中へ入っていった。これは日本軍の特攻艇「震洋」の格納庫。爆弾を積んで突撃していくボートだ。結局出撃することは無く敗戦を迎えたのだが、悲しい歴史の遺産も残っている。
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島に生育するサキシマスオウノキ という木。板状の根っこ"板根"で有名。
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台風などで倒れないように進化した形なんだそうだ。
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島の名所、"武名のガジュマル"
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なんか、神秘的なほど立派なガジュマルだ。
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さてさて、今回の最大の目的、フルオープンのJEEPでアマミノクロウサギを探索する"元祖ナイトツアー"へ。南国と言っても年末の奄美大島の夜は結構寒く、ダウンを着込んで参加した。
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車好きの院長が心躍る、三菱重工製、年代物のJEEPだ。
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自然公園の入り口。ここからが、アマミノクロウサギが出現するエリアだ。遭遇できるかどうかは運次第。全くだめな日もあるそうだ。
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幸運にも早々に発見!
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しかし、発見してもじっとはしておらず、すぐに逃げてしまうので、暗い条件の中、写真に収めるのは至難の業だ。
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すぐに藪の中に逃げ込んでしまう。
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何故かじーっとしている、子供のクロウサギを発見。どうやら用を足していたようだ。ゆっくり観察できてラッキー。運よく7回もクロウサギと遭遇することができた。
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これも運がよく、排水管の中に、"日本で最も美しいカエル"といわれる絶滅危惧種の"アマミイシカワガエル"を発見!
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奄美大島の美しい夕日。また訪れたい島だ。
前回に見たエゾフクロウが忘れられなくて、2シーズン目の再挑戦。今回はガイドさん無しでの挑戦。ちなみに環境保護の観点から、ネット上にはエゾフクロウの居場所は表だっては書かれていない。事前に色々調べて、数カ所の位置情報を教えていただいた。
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位置情報と昨年の記憶を頼りに、雪道を進んでいくと、
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ちょうど写真の中央。
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ほこらの中に、いました、いました。
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このほこらには、2羽で入っていることもあるのだが、自分はまだ見れていない。行き交う人と、挨拶がてら「いましたか?」と問いかけると、「1羽いたよ」と答えが返ってくる。
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微笑んでいるように見える。
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この表情には、ほんとに癒やされる。
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ほとんど動かないのに、時々顔を動かす。ぼーっと眺めていると、いくらでも時間が過ぎる。さて、次の場所へ。
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昨年、吹雪の中のフクロウを撮影できた場所。
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昨年の写真を頼りにほこらは見つけたが、ご覧のようにほこらが雪で埋まってしまっている。
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残念!、来た道を帰っていくと、人の群れが出來ていた。いた!
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林の中に、エゾフクロウがいた。ここで知り合った人たちが、次の場所へ連れて行ってくれるとのことになった。ラッキー!
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場所は阿寒湖へ向かう幹線通り沿いの林。本当に道のすぐ横。
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ほこらの中にいました。いました。
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こうやって見ると、エゾフクロウでもそれぞれ顔や姿が結構違うことがわかる。
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ほとんどの車が、フクロウの存在を知らずに通り過ぎていく。
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じーっと眺めていて、時折、表情を変えるのが面白い。
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冬の釧路は、タンチョウとエゾフクロウという、全く趣の異なった、2種の鳥を楽しめる。
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翌日、帰路につく前にもう一度、鶴居村のほこらへ。
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いました、いました。今日も一羽ですが、にっこり微笑んでいるようです。
カメラ機材をグレードアップして(といっても周囲の人達のカメラやレンズとは比べものにならないが。。)、2シーズン目のチャレンジ。
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この日の音羽橋はマイナス26度と超極寒、ましてや橋の上で、最高レベルの極寒仕様で望んだが、それでも指先がしびれる。
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音羽橋では、川霧の中のタンチョウを撮影するのが目的なのだが、この日は川霧はバッチリ。
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でも、なかなかタンチョウが出てこない。
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左中程に頭を下げたタンチョウの群れが見えてきた。
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最大限の望遠で。
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ここまで拡大すると、やっとタンチョウだと認識できる。今回はタンチョウの位置が橋から遠すぎ手、これが限界だった。
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宿に戻って朝食を摂り、再度撮影開始。
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凜とした静けさの中、タンチョウの鳴き声だけが聞こえる。
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何度見てもタンチョウは美しい。
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カップルなのか、
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仲良く遊んでいるように見える。
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あちこちで色んな行動を見せるので、ずっと見ていても飽きない。
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広げた羽も美しい。
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これから飛び立とうと助走をつけて。
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飛んでいる姿も美しい。
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群れで飛ぶと、より絵になる。
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飛んでいる姿の撮影は、まだまだ技量不足。
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タンチョウでは、ベストショットと言えるような写真が撮れていない。
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是非、また挑戦したい。
ウトロから半島の反対側にある羅臼へ移動。
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まず驚いたのは、この光景。前に見える島は北方領土の国後島だ。
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あまりの近さに正直驚いた。あれがロシア領なのかと。お恥ずかしい話だが、今になって、北方領土問題を目の当たりにした。
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今回、羅臼に来た目的は天然記念物のシマフクロウを撮影するためだ。その拠点になるのがここ「民宿 鷲の宿」。夜になるとこの宿の前にある小川にシマフクロウがやって来るというのだ。
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ここが観察用の小屋。ここから夜通し、シマフクロウが来るのを待ち構える。中にはトイレもあって、飲み物も自由に飲めるようになっている。
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この清流に、シマフクロウが自然の餌場と思ってやって来る、人工の餌場が設置されてある。
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その横には照明設備が有り、夜はシマフクロウがエサを採りやすい明るさで照らされる。右の板で蓋をしてあるのが、餌場だ。
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こんな感じになっている。
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夜になると、このように照らされる。照明の周波数にシャッタースピードを合わせると、ストロボなしで撮影できる。
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シマフクロウはつがいで行動するらしく。通常は毎日2回は現れていたようだが、ちょうど直前にメスが死んだらしく、オスが新しいパートナーを探していた時期で、あまり姿を現さないようになっていたそうだ。夕食後午後8時頃から延々何も来ない時間が続く。深夜2時頃を過ぎると、一人また一人と諦めて部屋に帰って行く。自分はウトウトしながらも何とかねばった。
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午前5時過ぎ、急にざわついた。シマフクロウが来た!
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エサを狙っているようだ。
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こっちを見た。
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エサを採りに行った。
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餌場を出たり入ったりを繰り返している。
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夢中でシャッターを切った。
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癒し系のエゾフクロウと違い、鷲のような精悍な顔つきだ。
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羽を広げた姿もカッコイイ。
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魚を足でつかんで出てきた。
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飛び立つ姿も美しい。
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たった10分ほどのショータイムだったが、
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最後までねばった者だけが味わえた興奮だった。
夏に北海道を再訪、まずは知床のウトロから。
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今回は知床半島を小型船でクルーズし、陸からではアクセスできない、知床半島の自然を観察するというツアーに参加。
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あいにくの天気ではあったが、何とか船は出た。
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切り立った崖や滝など、自然の造形美を見ながら、知床半島の先端を目指して船は北上する。
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このツアーの最大の見せ場、ヒグマを発見!!ちょうど写真の川の中にいる川の中にいる。
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川で魚を狙っているようだ。
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川から出てきて、何か咥えている。
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魚だ!まるで木彫りの熊のように、魚を咥えている。
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崖を登りだした。
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巣に帰っていくのだろうか。
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夜は満天の星空で、天の川も見れた。
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斜里町にある「天に続く道」。確かに天に続いているように見える。
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ヒッコリーウインドの庭の巣箱になにげに小鳥がやってくる。
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今回のもう一つの目的は、「エゾフクロウ」を見ることだ。
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ガイドさんに連れられて、幹線道路からはずれて、雪道を歩いて行くと、いました、いました、エゾフクロウが。
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木のほこらの中で、のんびり昼寝中?
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じっと動かないようでいて、時々、頭を動かす。
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なんだか、笑っているようにも見える。
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「森の守り神」などと言われるが、何とも穏やかな表情だ。
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いくら見ていても飽きない。
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色んな表情をしてくれる。
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今回のベストショット。腹を抱えて笑っているかのようだ。
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次の場所へ移動したが、残念ながら、このほこらにはいなかった。
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でも、周囲を見渡すと、ほこらの外で発見!
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少し細身で、ちょっと顔が違う。
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もう1か所に移動すると雪が降ってきた。
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ほこらのなかに、いました!
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かなり激しく雪が降る中、
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ほこらから、少し体を出しているので、頭の上に雪を乗っけている。
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これは少し珍しいそうで、雪の中のお地蔵さんのような、シュールな光景だった。
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釧路の空港は「たんちょう釧路空港」という。空港前にはタンチョウとシマフクロウの大きなモニュメントがある。次の夏には天然記念物である、このシマフクロウを撮影することになる。
2020年2月、冬の釧路を始めて訪れた。
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あちこちからタンチョウの鳴き声が聞こえる。
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今まで、「鳥」というものにあまり興味を持ったことが無かったのだが、タンチョウは気品があって実に美しい。
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白黒のモノトーンに赤いポイントが映える。
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むかし、「池中玄大80キロ」というドラマで、主役の西田敏行がタンチョウに魅せられたカメラマンを演じていたが、極寒の中、寒さを忘れてファインダーを覗く気持ちがわかるような気がした。
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羽そのものの質感も美しい。
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いわゆる求愛ダンス。
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独特の声で鳴いている様子。
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長い時間見ていても全く飽きない。
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飛び立って行っては、また、どこからか飛んでくる。
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群れで飛ぶ姿は、また美しいのだが、
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飛んでいるところを写真に収めるのは中々むつかしい。自分にはまだまだだ。
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コレが有名な、鶴居村の音羽橋。
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橋の上から望遠で、タンチョウのねぐらを唯一観察、撮影できる貴重なポイント。川霧の中のタンチョウの姿を撮影しようと、マイナス10度から20度と極寒の中、日の出前から多くの愛好家が三脚を持って押し寄せる。コロナ渦で外国人の姿が少なく、それでもピークには2重に整列状態になる。
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エゾジカが出てきた。
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すっかり日が昇ってしまった。
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今回の撮影機材のスペックではこれが限界だ。周囲には100万円以上するような大型望遠レンズを装備した人たちがわんさか。次回はもう少しグレードアップして望みたい。
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一旦宿に帰って朝食を摂り、再度、タンチョウ撮影へ向かう。二羽で遊んでいるように見える。
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静寂の中、タンチョウの鳴き声が響く。
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羽を広げた姿も美しい。
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雪が降ってきた。
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雪がしんしんと降りしきる中のタンチョウもいい感じだ。
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吹雪の中、飛び立っていった。
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ここは夕暮れどき、寝床に戻っていく姿を撮影するポイントだ。
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暗くなる中、飛んでいるタンチョウを撮影するのは、かなり高度なテクニックを要するようだ。
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タンチョウ撮影初体験は一端終了。次回はもう少し腕を上げてから挑みたい。
ドクトル伊東の地球の果てまでも、とうとう11年目に突入。コロナ渦で、海外はおろか、国内旅行もはばかれる昨今、中々更新の機会が無かったのだが、2019年の夏から撮りためてきた北海道の大自然を紹介していきたい。
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「北海道の絶景」で調べてみて、一番印象的だったのがこの「神威岬(かむいみさき)」。ウニで有名な積丹半島の、日本海に突き出た岬だ。ウニ漁の時期が決められているため、夏の時期は「ウニ丼」求めて多くの観光客がやってくる。札幌から車で約2時間と、アクセスも悪くない。
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ゴジラの背中の様な岬。
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長い遊歩道が整備されていて、岬の先端まで行くことができる。
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見下ろすと、海はキレイな青色で「積丹ブルー」と呼ばれている。
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岬の尾根に連なる遊歩道が、景色とうまくマッチしていて美しい。確かに記憶に残る絶景だ。
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一旦札幌に戻り、今回は列車で釧路に移動。「特急おおぞら」で約4時間で、釧路に到着。今回の目的は釧路湿原でのカヌーだ。
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高台からの眺め。眼下に広大な湿原が広がる。
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日本で一番広い湿地であり、水や動植物の独特な生態系が維持されている。
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今回挑戦したカヌー。ここに来て始めて、「カヌー」と「カヤック」の違いを知った。自分が今まで乗ってきたのはカヤックだった。水をかくブレードが両端についているのがカヤックで、初心者でも比較的漕ぎやすいのだが、今回のカヌーはいわゆる「カナディアン・カヌー」でブレードが片方にだけついていて、それで、前進と舵を切る。これは中々慣れるまで難しかった。
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釧路川の静かな流れに乗って、川を下っていく。
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ガイドの方が特別な場所に連れて行ってくださったので、我々以外に誰もおらず、優雅な時間だった。
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のんびりと、ずーっと乗っていたい気分だった。
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オジロワシにも遭遇した。
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ポーランドで経験したカヌーの様な光景だった。
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今回、釧路ではヒッコリーウィンドというロッジにお世話になった、オーナーの安藤誠さんは、世界的な雑誌で受賞もされている写真家で、釧路の自然を知り尽くしたナチュラリストの第一人者でもある。恐らく、ここでしか経験のできない、ナイト・カヌーを経験させていただいた。
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8月の釧路であるが、上下にごっつい冬用のダウンウエアを着用して出発。
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月明かりだけを頼りに漕ぎ出していく。
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月が明るくて、星はそれほど見れなかったが、なんとも幻想的な経験だった。これは一度は経験していただきたい。
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北海道の定番光景、キタキツネ。
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夏でも、なにげにタンチョウに遭遇する。
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野生のタンチョウは初めて見た。
ヒッコリーウィンドには安藤さんが撮られたすばらしい写真がたくさん展示されているのだが、その中でフクロウの写真に魅せられてしまった。安藤さんに、冬の釧路に是非来なさいと言われた。これが釧路マニアになったきっかけだ。
今回、月曜深夜の長寿番組、MBS毎日放送『痛快!明石家電視台』に出演する機会を頂いた。
『実際どうなん!?アフリカ大好き9人』というテーマで、千原せいじさんをはじめとして、アフリカとゆかりのある9人が登場。院長は2000年からの2年間をアフリカのスーダンで、日本大使館の医務官として在勤した。また、在勤中に休暇を利用して、ケニア、タンザニア、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナ、南アフリカ、エジプトを訪れた。特にケニアのマサイマラでのサファリにはまり、転勤後も2度ケニアを訪れている。文字通りのアフリカ大好きである。
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バラエティーへの出演なんてもちろん初めての経験で、かなり緊張して臨んだ。2時間の収録であったが、終始お笑い芸人の方々の反射神経の凄さに圧倒され、あっという間に終わってしまった。さんまさんのツッコミがいきなり自分にも飛んでくる。他の人が話している間も、いつ振られてくるかもしれないので、常に集中しておかないといけない、芸人さんはアドリブの振りに対しても、きっちり笑いをとる。これはもの凄いことだと肌身に感じた。
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事前に何度も入念な打ち合わせがあるのだが、実際は全て、さんまさんの勝手気ままな展開で進んでいく、自分は灼熱の国スーダンでの、停電にまつわる話をし、無事にカットされずにオンエアしていただいた。もう一つ、入念に写真や動画まで準備していった、ケニアのサファリにまつわる話は、話す時間さえなかった。。。非常に貴重な経験をさせてもらった。本当に、お笑い芸人という人たちは凄い!
ミャンマー旅行もいよいよ終盤、カックー遺跡観光を終えて、夕方のフライトで首都ヤンゴンに戻った。
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道路のど真ん中に黄金の大きなパゴダが見える。
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開発発展著しいヤンゴンでは、街のあちこちで建築工事ラッシュだが、イギリス統治時代の面影を残した街並みに異国情緒を感じる。それにしても日本車が多い。日本より日本車の比率が高い。
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何と、ヤンゴンには「大阪王将」が2件もある。ちょうど日本食が恋しくなっていたこともあり、見学がてらに入ってみた。
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店内はこんな感じで、現地としてはやや高級な雰囲気。
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大きな餃子の看板がおもしろい。
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値段は餃子一人前が250円ほどなので、日本とさほど変わらない。餃子がチキンとポークで選べるところが国際的だ。
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日本とはちょった違った、妙なメニューもあるが、味はまずまずだった。
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ライトアップされたスーレーパゴダ。
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高層ビルの間にそびえ立っているようだ。
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黄金に輝く巨大なパゴダ、ミャンマー仏教の総本山、シュエダゴン・パゴダだ。
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中心に高さ100mの「聖なる黄金の塔」が建ち、その周りは大小60あまりのパゴダで囲まれている。他の寺院とは格の違いを感じる。
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境内は毎日参拝者でいっぱいだ
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寝仏のお堂。ミャンマーのお釈迦様は色白で、化粧をされている。ちなみに寝仏と涅槃(ねはん)像は異なり、涅槃像はお亡くなりになった像で、両足が揃えられて目も閉じているのだが、この寝仏はお休みになっているようなのだそうだ。足の裏には108の煩悩が書かれている。
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鐘の装飾もすばらしい。
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ミャンマーのお坊さん。
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尼僧さん。
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シュエダゴン・パゴダから車で10分程のところに、寝仏で有名なチャウッターヂー・パゴダがある。このお釈迦様は全長70mとかなり巨大だ。
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お顔は女性的で、エクステもされている。
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足の裏には108の煩悩が描かれている。
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煩悩が絵文字で表現されている。
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その解説がこちら。
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ここも仏像の後光はLED照明。
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土産物を買いに、ボーヂョーアウンサン・マーケットに向かった。
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たくさんの店舗が整然と並んでいるが、Tシャツや宝石、銀製品など同じ様な物を売る店が多い。
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最期の夜、ライトアップされたシュエダゴン・パゴダを見に、もう一度訪れた。
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本当にすばらしいの一言。ミャンマーの人々は本当に素朴で穏やかな人達だった。それだけ経済発展から取り残されてきたと言うことなのかもしれないが、そのきっちりとした仕事ぶりからみると、日本が本腰で進出していっているのもうなずけるような気がした。ミャンマー仏教の世界を垣間見て、自分の持つ仏教感というものがだいぶ変わった。また、日本仏教という物が、日本で独特な発展をしていったのだということを痛感した。
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今回のミャンマー旅行で、最も見てみたい場所の一つがカックー遺跡だ。
ボートでニャウンシェの街へ戻り、そこから車で約2時間半、タウンジーの街へ着いた。
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ちょうどシャン州名物の五日市が開かれていた。
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新鮮な野菜や肉が売られている。
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これは豆腐。日本の豆腐そっくりだ。
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真ん中の黒い服の女性、周囲の女性と雰囲気がちがう。この地域の少数民族パオ族の女性だ。
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パオ族の女性は皆黒い服を着て、鮮やかな色のターバンのようなものを巻いている。
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カックー遺跡はパオ族の特別地区にあり、2000年に外国人観光客に解放されたばかりで、カックー遺跡を見学するためには、タウンジーからパオ族のガイドを同伴しなくてはいけない決まりになっている。
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遺跡に到着。すごい数のパゴダだ。
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約2400の小型のパゴダが、狭い敷地に整然と並んでいる。風が吹くと尖塔の先に付いた風鈴が心地よく鳴る。
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願い事を祈り、鐘をつく。
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青空に白いパゴダが映える。
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まるで墓地のお墓のように、パゴダが並んでいる。
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彼女が今回のガイド。ちゃんと英語で説明してくれる。
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昔のままのものと、修復されたものが混在する。
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立派なレリーフが施されている。
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一番のビューポイントから。
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見ごたえのある、わざわざ足を延ばす価値のある遺跡だ。
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再びインレー湖に戻り、ホテルを目指す。
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夕暮れ時にインダー族の漁に出会った。
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絵になる光景だ。
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インレー湖のホテル、Myanmar Treasure Resort Inleが見えてきた。
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水上コテージが連なった構造になっている。
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ちょうど夕暮れ時にチェックイン。
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ホテルのデッキから、ミャンマービールを飲みながら、サンセットを楽しむ。
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ゆっくり、まったりといい時間が流れる。
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コテージをつなぐ桟橋に明かりが灯る。
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インダー族の伝統農法、浮島農業の様子だ。竹と水草で作った浮島で、野菜栽培を行っている。
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朝にボートで畑仕事。
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実際に畑に近づいてみると。
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これはトマト農園。
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小ぶりなトマトが熟していた。
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これは観光客向けのパフォーマンス。
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チップを渡そうにも渡せない。
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今回紹介するのはインディン遺跡。インレー湖の奥まったところにある。
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船着場から、水縁ののどかな田舎風景の中を10分ほど歩く。
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参道の入り口。
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ここから400本以上の柱で作られた参道がパゴダ(尖塔)まで続き、土産物屋がずらりと並ぶ。
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パゴダが見えてきた。
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インディン遺跡は14〜18世紀頃に建てられたと言われ、パゴダの数は1000個以上とのこと。
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長い間放置され、最近修復作業が始まったばかりとのことで、
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廃墟感がハンパない。
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パゴダが樹木に侵食されている様子は、アンコールワットのベンメリアを彷彿する。
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尖端が崩壊したパゴダ。入り口の両端にはレリーフが残っている。
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緑に侵食されたパゴダ。
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パゴダの上から樹が生えている。
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立派なレリーフも残っている。
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祭壇を覗いてみると、仏像の後光はやはりLED照明。
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地面は全く整備されていないが、パゴダが並ぶ光景はなかなか壮観だ。
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中々見ごたえのある遺跡だ。
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帰りは田舎風景の中を少し歩く。
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水辺で洗濯をしたり、洗い物をしたり、現地の生活風景を垣間見る。
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バガンから空路、インレー湖への玄関口ヘイホー空港へ飛び、陸路インレー湖麓の町ニャウンシュエへ向かった。
インレー湖は標高900mと高原にあり、暑いミャンマーでは避暑地でもある。
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ニャウンシュエでボートに乗り換え、支流を登っていく。この地域ではボートは生活上の重要な移動手段だ。
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ボートは結構なスピードでぶっ飛ばす。細い水路を曲がる時とすれ違う時はスリリングだ。
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水路に沿って、水上家屋や商店が軒を連ねる。
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湖に出た。インレー湖は南北に18kmと縦長の湖だ。
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観光客を乗せたボートとすれ違う。水しぶきがバサーッと。
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インレー湖と言えばこの風景。
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少数民族であるインダー族の伝統漁法で、器用に足で艪を操る。
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水上の交通標識。この地域では、水路は道路と同じだ。
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再び水路へ。
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土産物売りのボートが近づいてくる。
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有名な、首長族(パダウン族)のお店へ。
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パダウン族のおばあちゃん。お店の看板にもなっている。
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横から見ると、より長く見える。
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機を織る娘さん達。
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パダウン族はタイとの国境周辺に暮らす山岳少数民族。
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知名度の高い彼らは、この地域の観光資源にもなっている。
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昼食に立ち寄ったレストラン。
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ミャンマービールでひと息。
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食後のコーヒーもなかなかオシャレ。
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水路を再び進む。
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この地域の代表的な寺院、ファウンドーウーパヤー。
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年に一度の祭りで使われる、鳳凰の船。
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寺院の中はLED電飾キラキラで、この雰囲気が日本の寺院と大きく異なる。寺院中央の台座には何やら金色の塊が。。
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男性だけが中央の台座に上がることができ、お賽銭代わりに小さな金箔を買って、仏像に張っていく。どんどん張っていくので、仏像が金色雪だるまのようになってしまたのだと。
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昔に地理で学んだ、"イラワジ川"、現地では"エーヤワディー川"と読む。
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バガンの郊外、夕暮れ時にサンセットクルーズへ。地元の人達も渡しで対岸へ。
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漁船を少し改造しただけのクルーズ船。
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川といっても全長は2,170km、海のようだ。
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ホテルの機能を備えた船もある。
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沿岸には洗濯する人達や、人々の暮らしが見える。
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小型船に満載で人々を運ぶ。
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浮島で野菜を栽培している。
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川から仏塔を見上げる。
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風が心地よく、のんびりしたクルーズだった。
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ポッパ山麓の切り立った岩山(タウンカラット:標高737m)に立つ"天空の寺院"。初めて写真で見た時、どうしても行きたいと思った。
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バガンからは車で片道2時間。途中、素朴な"やし酒工房"に立ち寄った。牛で臼を引き、やしを搾っていた。
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ヤシの樹液をかめで発酵させて、にごり酒を造る。
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また、もち米を混ぜて発酵させてから蒸留し、焼酎を造くる。
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ヤシの絞り汁を煮詰めて、
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黒砂糖のようなココナッツシュガーも作り販売していた。
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途中で出会ったもの売りの少女。ほっぺにはもちろん"タナカ"。
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ポッパ山とタウンカラットが見えてきた。
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タウンカラットは777段の階段で登ることができる。でも30分かけてタウンカラッとを登っても、写真で見たような"天空の寺院"を見ることはできない。"天空の寺院"、タウンカラットを見下ろす位置にある、"ポッパ マウンテン リゾート"という高級ホテルから見るのが最高なのだ。
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プールの向こうにタウンカラットが見える。
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少し望遠で、プール越しのタウンカラット。
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ホテルの洒落たレストラン。
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ミャンマービールの向こうにタウンカラットが。絶景を眺めながらのランチ。
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もう一枚、ミャンマービールとタウンカラット。このミャンマービールは結構うまい。
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レストランのテラスからはこんな具合にタウンカラットが見える。
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何で、どうやって、こんなところにお寺を建てたのか、本当に不思議だ。
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まさに"天空の寺院"。
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久々にすごい建造物を見た。
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今回ミャンマーを訪れた最大の目的は、バガンの遺跡群を、朝焼けと夕焼けをバックに遺跡の上から撮影することだ。
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まずは定番のシュエサンドーパヤーからのサンセットに挑戦。すでにたくさんの人が陣取っている。
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遺跡の上から眺める遺跡群は壮観だ。
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見渡す限りに、大小の遺跡が点在している。
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日が沈み始めた。
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夕焼けを期待して、皆待っているのだが。。。
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残念ながら、今回は夕焼けを見る事はできずに、日は暮れていった。
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日暮れの遺跡群もなかなかいい感じなのだが。
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気を取り直して、朝焼けを願って、早朝からカメラを構える。
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まるでピラミッドのよう。
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アーナンダ寺院も夜空にライトアップされている。
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空が少し赤みを帯びてきた。
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暗闇から浮かび上がってくる遺跡群もまた神秘的で素敵だ。
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でも、朝焼けは起こらず、そのまま明るくなってきた。
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周囲はこんな感じで、早朝から皆、朝焼けを期待して粘っていた。日本人や中国の若者が多い。
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日が明けてきた。
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早朝の遺跡群は、夕方に見たものより、何か空気が澄んでいて美しく感じる。
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残念ながら、夕焼けと朝焼けは見ることができなかったのだが、
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朝日を浴びた遺跡群は、引き込まれるような美しさだ。
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遺跡の上から、四方に360度撮影ができる。
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ジャングルの中から頭を出す遺跡群の様子は、南米グアテマラのティカル遺跡を思い出した。
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今回、ミャンマーを訪れた目的は、バガンの仏教遺跡を見てみたかったからだ。バガンの遺跡は、アンコールワット(カンボジア)、ボロブドール(インドネシア)と共に世界三大仏教遺跡と呼ばれている。全二者は世界遺産に登録されているが、バガンは登録されていない。もちろん世界遺産レベルの遺跡なのだが、その理由は後々書いていきたい。
高台からバガンを見渡すと、あちこちに大小の仏塔が見られる。
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まずは黄金に輝く、シュエズィーゴン・パヤー から。11世紀に建立されたバガンの代表的な建築物の一つ。現在修復中で下部が覆われているのが残念だが、青空に映える、美しい寺院だ。
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次は、ティーローミンロー寺院、パガン王朝後期の13世紀に建立された荘厳な寺院だ。
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2016年8月の地震で被害を受けており、現在修復作業中であった。
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ミャンマーの仏像は金箔を貼られたものが多く、そのお顔も日本の仏像とは少し異なる。
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ミャンマーの仏様は、頭が大きく、お顔が優しい感じがする。
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右下がいわゆる賽銭箱なのだが、透明で中が見えるのが面白い。
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外壁には細かいレリーフが彫られている。
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次はアーナンダ寺院。ここもバガンを代表する寺院の一つで、美しい寺院だ。
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中には東西南北に、黄金に輝く立位の仏像が安置されている。
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西向きの仏像。
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高さは9.5mもあり、近づいていくと、なかなか迫力がある。離れてみると優しいお顔で、近づいてみるとやや厳しいお顔に見えるらしい。遠くから見る民衆には優しさを、真下から見る国王には厳しさを表しているらしい。
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南向きの仏像。四方の仏像はそれぞれ、お顔や手のポーズが異なる。
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建物の隅に、両方向を跨いで座る獅子像。
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次はスラマニ寺院。
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2016年の地震で、尖塔部分が崩壊してしまっている。
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外壁の所々に、おもしろいレリーフが彫られている。
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黄金で、衣を羽織られた仏像。
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シンプルな仏像。
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髪型に特徴のある仏像。寄付があると黄金になるのだそうだ。
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顔だけ黄金になった仏像。寄付待ちといったところなのか。
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寺院側から参道を。
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レイミャナー寺院の壁画。たくさんのブッダが描かれていて、これはすばらしい。
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馬車でオールドバガン散策する。
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車では入っていけない小道から、遺跡や地元の人たちの生活を垣間見ることができる。
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地元の村を散策。
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屋根が特徴的な民家。
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村の人たち。
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今回のバガンの宿は、Bagan Lodge。
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オールドバガンの遺跡からも近く、高級感のあるリゾート。
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部屋はコテージタイプ。
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部屋も広くて快適。
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バスタブもある。
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明けましておめでとうございます。
「ドクトル・イトウの地球の果てまで 」も8年目に突入。
なかなか更新ができず、1年ぶりの更新となります。
今回紹介するのは、「アジア最後のフロンティア」などと称される、ミャンマーだ。「ビルマ」という国名の方が馴染みがあるかもしれないが、軍事政権が長く続いていたため、アジアでは最も欧米化が遅れた国で、鎖国のような状態であったのだが、近年、民主化され、その発展ぶりが目ざましい。
「ビルマの竪琴」などで知られるように、日本とは古くから関係があり、親日的な国でもある。
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今回は、関空からキャセイパシフィックの夜行便で、香港経由でミャンマーの首都ヤンゴンに深夜に到着。空港近くのホテルで仮眠をとり、朝に国内線でバガンへと向かった。国内線のエア・カンボーザは新興の航空会社らしく、機材も新しく快適だった。
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バガンのニャウンウー空港へ到着。
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まずは旅の基本、街の市場(ニャウンウー マーケット)を散策。
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色とりどりの野菜や果物が整然と積まれている。以前にミャンマーのリポート番組で、千原せいじが、ミャンマーのマーケットが「臭くない」、果物や野菜が几帳面に綺麗に積まれていると、驚いていたのを思い出す。確かに、一般的に途上国のマーケットは、いろんなにおいが混在していて臭いのが一般的なのだが、このマーケットはあまり臭くない。
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パイナップルもこんな風に手の込んだ切り方をして売っている。
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葉っぱも綺麗に束ねてある。
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魚醤の味噌も何か綺麗に盛ってある。
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この木はミャンマー独特の天然化粧品「タナカ」だ。この木を磨りつぶし、ペースト状にして顔に塗る。日焼け止めの効果もあるようだが、男女を問わず,皆使用している。これは本当に不思議だ。
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化粧品用に加工されたものもあり、お土産としても売られている。
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こんな具合で、お母さんはほっぺに、赤ちゃんは顔中に塗られている。これが普通の光景だ。
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油の量り売り。
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売り子の娘さんもほっぺに「タナカ」。
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お米屋さん。米屋はなぜか男性だ。
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湖や川の淡水魚の魚屋さん。
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魚はぶつ切りに。
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皮に付いた身をそぎ落として。
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楽器屋さん。なにやら見慣れない楽器が。。
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これが、「ビルマの竪琴」だ。
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縫い子の娘さんたち。今は懐かしい足踏み式ミシンだ。
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彼女たちも、やっぱりほっぺに「タナカ」。
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宝くじ売り場。ミャンマーの人たちは,くじや抽選が大好きだそうだ。
次回からは、バガンの仏教遺跡群を紹介する。
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では、今回は竹田城跡そのものと、麓の街並みを紹介する。
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「天空の城」も、日中に麓の住宅地から見上げると、今ひとつパットしない。
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最寄りの駅は、JR播但線の竹田駅。
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駅舎は結構洒落たたたずまい。駅舎の裏から登山道がはじまる。
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線路の向こう側へは、線路の下をくぐっていく。
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こんな感じで、線路の下は通路になっている。
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駅の山側には水路が流れていて、寺が建ち並んでいる。
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城下町らしい街並みだ。
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水路には立派な鯉が泳いでいる。
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左のお宅がおもしろい。なぜか、ゴジラやピカチューの石像がまじめに飾られている。
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登山道の入口。
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息を切らして登山道を上り、やっと竹田城跡に到着。
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城跡と言うだけあって、残っているのは城の石垣のみだ。
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ペルーのマチュピチュも、同じように石の建造物だけが残っている。
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ここから見渡す周囲の山々の景色は中々気持ちがいい。
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でも、城跡はやっぱり城跡で、日中にここだけ見ても、あまり。。。だ。
今度は是非、霧に覆われた城跡を見てみたい。
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雲海の中に浮かぶ竹田城跡。その一部始終を望遠写真で紹介する。
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最初は雲海に埋もれてしまっていて、何も見えない。
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雲海は波のように上がったり下がったりしながら流れていく。
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そのまま、すーっと全て無くなってしまうこともあるそうだ。
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雲海が薄くなった先に、竹田城跡が見えた!!
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まさしく「天空の城」だ。
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しばらく、見えたり隠れたりを繰り返しながら、雲海は徐々に下がって行く。
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このわずかな時間がショータイムだ。
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しだいに城跡がくっきりと見えるようになってくると、
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雲海は徐々に下がって行き、
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あっというまに、すーっと消えていく。
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そこには、現実の世界の竹田城跡がくっきりと現れた。
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麓の街までくっきりと見える。
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望遠でもっと近づいてみる。雲海の中から城跡が少し姿を現しだした。最も興奮した瞬間だ。
600万画素の一眼レフ+安物望遠レンズでの撮影なので、写真の荒さはお許しいただきたい。
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雲の切れ目から城跡が現れた。
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この光景は確かに「雨のマチュピチュ」に似ている。「晴れのマチュピチュ」も当然すばらしいのだが、「雨のマチュピチュ」は「天空の城ラピュタ」を彷彿する、何とも幻想的な世界で、時間的に粘らないと見れないところもそっくりだ。
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よく見ると城跡に多くの人がいるのがわかる。こちらの雲海がなかなか晴れていかない事にしびれを切らした多くの人達が、一旦下山して、城跡側に回っているとのことだ。もちろん城跡の上からは天空の城は見えない。
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雲海に城跡が浮かんでいるように見える。
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徐々に雲海は下がっていき、
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しだいに城跡はくっきりとしてくる。
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晴れてしまうと、夢から覚めたようで、何か虚しさが残った。
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さあ、急いで下山して、宿で朝食だ。
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このブログを始めて6年目に入ったが、今回はじめて日本の景色を取り上げたいと思う。
最近、テレビCMなどで取り上げられ、「天空の城」、「日本のマチュピチュ」として注目されている「竹田城跡」。ペルーで4年間を過ごした自分としては、いったいどんなもん?と、実際に行ってみた。
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雲海に浮かぶ「天空の城」を見るには、その対岸にある「立雲峡」の展望台から見るのが一番いいらしい。
「雲海」はいつでも見られるというものではない、本来は9月から12月の気候条件がそろった時にのみ見ることができるそうだ。今回訪れたのは3月下旬、はたして見られるかどうか。。。
「立雲峡」の駐車場がまだ工事中であったため、麓から目的の「第一展望台」まで、1時間の山道を登る事になった。早朝のまだ薄暗い山道を息を切らせて登っていく。
途中にあった、愛宕神社の鳥居。
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疲れもピークに達した頃、前を行く人達から歓声が上がった。「雲海」だ!。第一展望台に着くと、眼前は「雲海」で埋め尽くされていた。
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この時期にこれだけの雲海が見れるのは、結構ラッキーらしい。
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「展望台」といっても何があるわけではなく、ただの「平坦な場所」だ。この時期の山の上は結構寒く、皆、防寒具を来ていてもぶるぶる震えながら、雲海が晴れていくのを待っている。熱い飲み物を持ってくれば良かったと後悔した。
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後から登ってくる人達も皆一様に歓声を上げる。でも、見えるのは「雲海」だけ。
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「雲海」が適度に晴れてきて、始めて天空の城が拝めるのだ。
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ちょうど自分の隣に、三脚にプロ仕様のカメラを構えるおじさんが居た。聞けば、ここの常連とのことで、「今日はチャンスがあるから粘ってみたら」と言ってくれた。
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少しずつ雲海が下がって来ては、また上がっていく。待てども待てども、雲海が晴れてくる気配がない。
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この状況で1時間半程度が過ぎた。大半の人達は、天空の城を見ることなく諦めて下山していった。
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最悪の場合、このまま雲海がスーッと消えてしまって、"終わり"らしいのだが、あと30分だけ粘ってみることにした。
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雲海が下がりだしては上がりを何度も繰り返すうちに、雲海の切れ目が深くなって来た。
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その瞬間に周囲からオーッ!という歓声が上がった。竹田城だ!雲海に浮かぶ竹田城、まさに天空の城だ。
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興奮してシャッターを切りまくったが、幻想的なショーはしばらくして終わり、
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気がつけば、雲海はどんどん低くなっていき、スーッと消えてしまった。
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晴れてしまうと、現実的な景色が現れた。夢から目が覚めた感じだ。
次回は望遠での「天空の城」を。
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アンコール・ワットシリーズの最後は、世界遺産、天空の寺院 "プレアビヒア"を紹介する。
カンボジアとタイの国境に位置するこの遺跡は、歴史的にその周辺地域の領有権を巡って争われてきたのだが、2008年に世界遺産に登録されてからは両国の対立が激化し、2011年には武力衝突で死傷者を出す事態が発生した。2013年11月に国際司法裁判所の裁定が出てからは治安も安定し、観光も可能となった。
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シェムリアップから山の麓まで、片道3時間のドライブだ。道路が舗装されたのはまだ最近のようで、以前は4、5時間かかったらしい。
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のどかなカンボジアの田舎風景を見ながらのドライブ。
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集落のある辺りの様子。
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途中、トイレ休憩に立ち寄ったガソリンスタンド。
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バイク用なのか、瓶詰めで売られていたのはオイル?
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地面に広げられていた妙な物体。虫のさなぎの様にも見えるのだが。。。
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何と、これはカシューナッツだった。
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プレアビヒアの麓にあるドライブイン?に到着。ここで昼食だ。
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ツアーに付いている、おにぎり弁当をいただく。これが結構嬉しかったりする。
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トイレはさすがに水洗ではないが、手動水洗式だ。左の瓶の水をすくって流す。比較的きれいだ。
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コカコーラは海外でこんな飲み物を売っている。
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麓で四輪駆動トラックの荷台に乗り換えて、遺跡の入り口まで山を登っていく。
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入り口からは徒歩で、崩れかけた急角度の長い階段を上っていく。
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かろうじて外観を保っている、第一塔門へ到着。
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外枠だけが残っている。
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長い石畳を歩いて行く。
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振り返ると、眼下に広がる密林ジャングル。
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第二塔門手前の沐浴場。
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第二塔門はいい状態で残っている。
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立派な塔門だ。
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横から眺めると。
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かなり繊細な塔門のレリーフ。
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振り返って見た、第二塔門。
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青空をバックに、美しい塔門だ。
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第三塔門。
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向こうの山の上に見える建物は、タイ側の展望台。
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望遠で寄ってみる。向こうからも、望遠鏡でこちらを見ている。タイとは領有権を巡って軍事衝突したぐらいなので、妙な緊張感がある。
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第四塔門が見えてきた。
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中へ進んでいく。
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回廊の内側はかなり朽ち果てている。
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回廊と右側は瓦礫と化した中央祠堂。
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プレアビヒアには、遺跡というよりも、この頂上からの絶景を見るためにわざわざやってくるのだ。
こんなところに寺院があるのだから、天空の寺院といわれる所以だ。
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眼下に広がるジャングルは、カンボジアとタイ、ラオスの国境でもある。
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絶景をバックに、ガイドが面白いショットを撮ってくれた。
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もう一枚。
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三人乗りのバイクの人たちに手を振って、シェムリアップへ戻っていった。暑さが身体にこたえるが、見所の多いアンコール・ワットの旅だった。
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次は、「天空の城ラピュタ」のモデルともいわれる、密林の中の遺跡、ベンメリアへ向かう。
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入口から赤土の参道を進んでいく。
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廃墟で有名なこの遺跡なのだが、ナーガ(蛇神)は保存状態がよい。
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いきなり瓦礫の山が見えてきた。ポルポト派が仕掛けた地雷が除去され、この遺跡が観光客に公開されるようになってまだ十数年。遺跡そのものはほとんど修復されず、発見されたままの姿で保存されている。
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ほとんど原形をとどめていない。まさに廃墟だ。
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瓦礫と化した岩のブロックの中で、ここでもナーガ(蛇神)だけは保存状態がいい。
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一部に残った遺跡から、元がどういう感じであったのかが何となく伝わってくる。
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鬱蒼と茂ったジャングルの中は比較的涼しい。遺跡の内部には歩道が巡らされていて、
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立体的に遺跡を見ることができる。
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壁面に樹木が根を張り巡らしている。浸食されているというのか、一体化しているというのか。
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建物の上から樹木が生えている様に見える。
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樹木に呑み込まれているようだ。
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崩れ落ちた壁面のレリーフは朽ちていっている。
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建物を跨いで樹木が伸びている。
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瓦礫の頂から樹木が生えている。
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瓦礫となってしまったレリーフ。
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Uの字にくねりながら伸びている。
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回廊の入り口も、崩れ落ちた瓦礫でふさがれてしまっている。
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比較的原型を留めている建物も、
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樹木に覆い尽くされている。自然に食べられているという感じだ。
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散乱している瓦礫の中に、レリーフの足だけが残っていた。
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上部だけを残して崩壊した神殿。ベンメリアの象徴のような景色だ。
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朽ち果てたテバター。
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文明が衰退して廃墟と化し、自然に浸食され、同化し、最後は土に帰っていく。「天空の城ラピュタ」のテーマそのもののような感じがした。なぜか落ち着く空間だった。
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ハンモックで一休み。
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遺跡巡りに戻って、今度は郊外にある、バンテアイ・スレイ へ向かう。
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のどかな田舎風景を眺めながらのドライブだ。シェムリアップから少し離れるとずーっとこんな風景が続く。
これは沿道の民家だ。いわゆる高床式になっていてる。トタン屋根でかなり暑いらしい。
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これは、屋台の商店といったところか、色んなものを売っている。
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バンテアイ・スレイ のインフォメーションセンター。世界各国からの観光客が集まっている。
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これは世界の遺跡(左側)とアンコールワットの遺跡を年表で比較した表だ。右側の上から二つ目がバンテアイ・スレイ 。メキシコのマヤ文明の遺跡、チチェン・イッツァと同時代となる。なかなか比較はしにくいが、ここの繊細な彫刻技術はかなり突出しているように思う。
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バンテアイ・スレイの東門へ向かう。外壁は赤色の砂岩とラテライトでできていて、他の遺跡と比べて赤い。
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門の周囲には細かい彫刻が施されている。
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特に上部のレリーフは芸術的だ。
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リンガと呼ばれる石柱が並ぶ、赤い参道を進んでいく。リンガとは男性器を模ったものらしい。
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第一周壁の柱のレリーフもすばらしい。
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もっとも美しいと言われる、第二周壁の門が見えてきた。
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有名な写真スポットだ。
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先端が渦巻く破風が特徴で、デザインがすごく斬新的だ。
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細かいレリーフには、マハーバーラタが描かれている。
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重厚な第三周壁の門。
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踊るシヴァ神の彫刻が施されている。
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第三周壁の内部。
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中央祠堂と北塔(左側)
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北塔の門。両側にテバターが彫られていて
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右側のテバターが、有名な「東洋のモナリザ」
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左側のテバターも美しい。なぜ左側だけが有名なのか??。ガイドに言われないとどちらが「東洋のモナリザ」なのか区別がつかないところだった。
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南側の経蔵。
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経蔵のレリーフもすばらしい。
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破風にはラーマーヤナが描かれていて、
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カイラス山で瞑想するシヴァ神と抱きつく妻バルヴァティが彫られている。
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外側から見た様子。環濠で囲まれているのがわかる。
遺跡観光の連続で、少し飽き気味であったが、バンテアイ・スレイ のレリーフは他の遺跡と比べても格段に繊細で、すばらしい遺跡だった。
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遺跡巡りは一休みして、世界中から観光客の集まる、シェムリアップの街を紹介する。
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トゥクトゥクで夜の繁華街へくり出す。観光で成り立っている街だけあって、治安は比較的良好だ。
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飲み物や食べ物屋が集まる、"PUB STREET"。
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その中でも有名なアメリカンパブ、"RED PIANO"。
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冷たいアンコール・ビールをいただく。
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クネクネと妙な形をしたコーンにアイスクリームを入れるお店。
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水槽の小魚が足の角質を食べてくれるというお店。この水槽に足を突っ込む。
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セブンイレブンのパチモン。
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ソーセージや魚の干物が吊されている。結構臭う。
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なんと懐かしい名前を発見!「SWENSEN'S:スウェンセンズ」だ!今から約35年前、大阪の阪急グランドビルにあったアイスクリーム専門店で、今は日本に店舗はないようだ。
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メニューを見てまたびっくり。昔とほとんど同じだった。懐かしの「コイットタワー」を注文したら、見た目も味も全く同じだった。懐かしのスウェンセンズにカンボジアで再会するとは、ほんとに驚きだった。
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昼間のシェムリアップはいわゆるアジアの田舎町。
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バイクと車が混沌と行き交う、埃っぽい街だ。
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昼食を済ませ、午後からはいよいよアンコール・ワットの見学だ。
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門を抜けると、参道の向こうにアンコール・ワットが現れた。
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アンコール・ワットは12世紀に造られた、ヒンドゥー教寺院で,後に仏教寺院に改修されたそうだ。
東西1,500m、南北1,300mの濠に囲まれている。
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寺院は正面が西向きで、午前は逆光となるので、午前中にアンコール・トムやタブロームを巡り、午後からアンコール・ワットを見学するツアーがほとんどだ。
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寺院は3層の回廊と5つの塔で構成されている。この角度から見ると5つの塔が見える。この場所は朝日を見に来た場所だ。
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オレンジ色の法衣を纏った、若い僧侶の卵たちも見学に来ていた。
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最も外側の「第一回廊」を外から見た様子。
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すべて石造りで、主に砂岩とラテライトからできている。
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第一回廊の様子。
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壁面には壁画がぎっしりと彫られている。
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乳海撹拌(にゅうかいかくはん:ヒンドゥー教の天地創世神話)の壁画。
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叙事詩ラーマーヤナの壁画で、手がたくさんあるのが、鬼神ラーヴァナだそうだ。
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十字回廊から第二回朗へ向かう。所々にデバターが彫られている。
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頭のない仏像。
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第二回廊を出て、第三回廊と中央祠堂を見上げる。
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右側に第三回廊への急な階段があるが、今は使われていない。
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この辺りはたくさんのデバターが彫られている。
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第三回廊へは、後付けのこの急な階段を上っていく。
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第三回廊から第二回廊を見下ろした様子。
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デバターと連子窓
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第三回廊から見た中央祠堂。荘厳なムードが漂う。
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ここに雨水を溜めて、沐浴に使用していたそうだ。
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内側から見た第三回廊。
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第三回廊の様子。
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デバターは似ているようで、皆それぞれに趣が異なる。見れば見るほど深い。
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第三回廊から第二回廊と第一回廊(外側)を見下ろす。
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第三回廊から西側を見下ろす。参道の向こうに西門がある。
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裏側(東側)から見たアンコール・ワット。
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正面(西側)からとは少し感じが違う。
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もう少し外側から見ると、木々の間からアンコール・ワットが現れる。
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夕陽観賞スポットで有名なプノンバケンの丘は、夕暮れ時になると観光客で大混雑。残念ながらこの日は神秘的な夕陽を拝むことはできなかったが。。。
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このプノンバケンの丘から見たアンコールワットは、夕陽に輝いてまた格別だ。
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すばらしい。
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次はアンコール・ワット遺跡群の中でも人気の高いスポットである、「タ・プローム」へ移動。
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入口の四面観世音菩薩。この寺院が元は仏教寺院であったことがわかる。その後にヒンドゥー教寺院に改修されたそうだ。
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寺院というよりは、廃墟といった感じで、後で紹介する「ペンメリア遺跡 」と共に、「天空の城ラピュタ」を彷彿させる。文明が自然に飲み込まれたかのような光景だ。
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今までに見たことのない不思議な世界だ。
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ガジュマルの木が建物を飲み込むように浸食している様子は圧感だ。
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一見、樹木が建物を破壊していっているように見えるのだが、樹木が崩壊しかけた建物を支えているという見方もある様だ。
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寺院の中の崩壊もかなりひどく、回廊もこんな様子だ。
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周囲も崩れ落ちている。
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瓦礫と化した崩れた壁面には、繊細なレリーフが彫られている。
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蛸の足のように,縦横無尽に伸びたガジュマルは、確かに柱や梁のように建物を支えているようにも見える。
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崩壊はかなり進んでいる。
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ガジュマルの根の隙間から顔が覗いている。
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デバター(女神)が微笑んでいた。
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木の根の隙間が、ちょうど入口になっている。
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まるで生き物の血管のようだ。
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銀色に輝く木。
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自然と人工物が共生しているかのようにも見える。
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立派に根を張った木。
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回廊の外側の状況はかなり深刻で、
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まさに廃墟と化している。
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不思議なレリーフを見つけた。「恐竜」のレリーフだ。自分には今様な恐竜のイラストのようにしか見えず、何でこの時代にこのようなレリーフが??? この遺跡で一番の不思議だった。
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バイヨンを抜け、バプーオン寺院へ向かう。
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バプーオンへ続くこの参道は「空中参道」と呼ばれていて、横から見ると高さ2メートルの3列の円柱に支えられて、地面から浮いたようになっている。
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沐浴をしたといわれる池。
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「空中参道」を進んでいく。バプーオンとは「隠し子」という意味で、その昔、敵から王子を守るために、この寺院に隠したからだと言われている。
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バプーオンは3層構造のピラミッド型になっていて、遠景と近景では見え方が異なる。
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入口の階段を上っていく。
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階段を上り、正面から中央祠堂を見上げる。
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斜め方向から。
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少し離れて見るとこんな感じだ。
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この急な階段を上り、もう1層上へ。
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上の回廊。
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上から見下ろした様子。
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寺院の裏側で、みな立ち止まって壁を眺めている。何やら意味のある壁面らしい。よくよく見ると、顔のように見えてくる。これは「寝釈迦像」といわれるもので、向かって左側がお釈迦様の顔で、右側が胴体となる。
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お釈迦様が横になっている像で、説明ではこのようになっているのだが、なかなか上手く見えない。
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次にピミアナカスへ向かう。ジャングルに隠れた廃墟のような寺院だ。グアテマラのティカル遺跡に似ているように思う。
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赤茶色のラテライトを積み上げてできた、ピラミッド型の寺院だ。
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損傷がかなり進んでいる。
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王宮のテラスから、前庭を望む。暑いため、車やバスは木の下に集まって駐車している。
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象の鼻が柱になった、「象のテラス」。
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象が鼻でハスの花を絡め取っている様子だそうだ。
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ライ王像があるテラスで、「ライ王のテラス」と呼ばれる。
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テラスの高さは6メートルあり、壁一面に壁画が彫られている。
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阿修羅と神々が一緒に描かれている。
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朝食を済ませてから、午前の観光がスタート。まずは、アンコール・トムへ向かう。
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現地での気楽な移動手段はこの「トゥクトゥク」と呼ばれるバイクタクシー。
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実際にはこんな感じで、埃っぽいのが難点だが、風が心地よい。値段は個別交渉だ。
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なぜか、「哀川翔」ステッカーを貼ったトゥクトゥクを見つけた。調べてみると、哀川さんはラリーでカンボジアを訪れているようだ。
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これはチケット売り場。ここで「アンコール・ワット遺跡群」の共通チケットを購入する。1日券、3日券、7日券などがあり、ちゃんとその場で写真を撮って、顔写真入りのチケットを発行している。
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アンコール・ワットを右手に見ながら、アンコール・トムへと向かう。
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アンコール・トムの入口、「南大門」へ続く橋へ到着。橋の両側に阿修羅像と神々がそれぞれ54体並んでおり、ナーガ(蛇神)の胴体を引っ張っている。
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アンコール・トムとは「大きな都市」という意味で、四方を1辺3kmの堀で囲まれた城郭都市だ。
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橋の上を車やバイクやトゥクトゥクがひっきりなしに通過していく。南大門の入口は乗用車1台が通れる程度の幅なのだが、これは象に乗った王様が通れる幅と高さなのだそうだ。
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欄干に並ぶ神々の像、左腕でナーガ(蛇神)の胴体を抱えている。
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反対側は阿修羅像、頭のないものや新しく修復されたものもある。
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南大門の上部は観世音菩薩の四面仏塔となっている。四方で表情が微妙に異なる。このような仏塔がアンコー・トムには54塔あるそうだ。
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四面仏塔の下、入口の右側には3つの象の頭と鼻がある。
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確かに象の鼻だ。
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よく見てみると、四面仏の下には、手を合わせるテバター(女神)のレリーフがたくさん彫られている。
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非常に手の込んだレリーフだ。見れば見るほどいろんなモノが見えてくる。
南大門を入り、バイヨン寺院へ向かう。
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窓から覗いたバイヨン寺院。
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バイヨン寺院の外観。寺院自体は3層構造になっており、中央に位置する最も高い「中央祠堂」とその回りの「第二回廊」一番外側の「第一回廊」で構成されている。
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これらは全て石のブロックを積み重ねて造られたもので、ジャングルの中に、よくもまあこんなに壮大な寺院を造ったもんだと感心する。
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中央祠堂へと登っていく。
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この付近には、大小様々な49もの四面塔がある。
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この四面塔の顔については、観世音菩薩やヒンドゥーの神、王の顔など諸説あるそうだ。
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顔はみな微妙に異なっていて、これも興味深い。少し微笑んだ表情は「クメールの微笑み」と呼ばれている。
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アジア系の顔つきで親近感がわく。自分にはやはり菩薩さんに見えて,思わず手を合わせてしまう。
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第一回廊には壁一面にレリーフが彫られている。レリーフにはクメール人の日常生活や戦の様子が描かれている。
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これは「トンレサップ湖の戦い」の様子。クメール(カンボジア)軍とチャンパ(ベトナム)軍との戦いの様子で、船に乗っているのがチャンパ軍。
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こちらはクメール軍。チャンパ軍とは髪型が異なるのがわかるだろうか。
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回廊を振り返るとこんな感じだ。
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テバター(女神)も多く、その彫りは繊細で、女性的な曲線が美しい。
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回廊の奥にお堂のようになっている場所があり、実際に僧侶が供養していた。
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このブログを始めて丸5年を迎えようとしているが、初めてアジアの絶景を取り上げたいと思う。かねてから是非行ってみたかった、アジアの至宝といわれる、世界遺産" アンコール・ワット"を訪ねた。
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今回の行程は、関空からベトナムのハノイ経由で、カンボジアのシェムリアップへベトナム航空で入った。
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トランジットで利用した、ハノイ空港。院長はベトナム初体験。ちなみにこの空港は日本のODAで整備されたものだ。
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さすがにここはベトナム。空港内で生春巻きや"フォー"が食べられた。
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空港の土産物屋で、ちょいとふざけて、ベトナム軍。
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そんなこんなで、カンボジアのシェムリアップに到着。今回のホテルにたどり着いた。
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早々、翌早朝からアンコール・ワットの朝日を見学に出発。アンコール・ワットはジャングルの中、壕に囲まれている。
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正面がアンコール・ワット寺院。まだ薄暗い中を寺院へ向かっていく。
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ちなみに、カンボジアの紙幣にもアンコール・ワットが印刷されている。
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池の手前から、朝焼けのアンコールワットを望む。
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何とも幻想的だ。
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空の色が徐々に変わって行く。
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こんな具合で、たくさんの観光客がカメラを構えている。ちなみにここを訪れる観光客の国別では、ベトナム、韓国、中国が多く、日本は第4位らしい。最近は中国人が激増している。今回も周囲は中国人だらけだった。
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池に空と寺院が映って、影絵のような景色となる。
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刻一刻と空の色が変わっていく。
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少し寺院に寄ってみて。
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空が徐々に赤くなってくる。
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寺院の背景が明るくなってきた。
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かすかに光が差してきた。
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塔の間から朝日が顔を出した。
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ここからは一気に空が明るくなって、サンライズショーは終了した。
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見物客が帰路につきだした。これからホテルに一旦帰って朝食を摂り、午前の観光に出発する。
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帰路にアンコール・ワットを振り返って。
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これから一気に気温が上がる。
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すっかり夜が明けた。一旦ホテルに戻って朝食だ。
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アフガニスタン編の最終回はカブールの子供たちを紹介する。
世界最貧国の一つで、衛生・医療事情も最低レベルの国で、自分が見た子供たちの顔は意外にも明るかった。
これはあくまでも自分の推測に過ぎないか、数十年続く政治的混乱の中で生まれ育った彼らは、この厳しい状況に慣れてしまっているのかもしれない。
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道ばたでたばこを売る少年
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外国人相手に絵はがきやパンフレットを売る少年
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八百屋で会った少年
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郊外の村で井戸汲みをしていた子供たち
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カメラを構えると集まってきた少年たち
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ゴミを集め運ぶ少年
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背中にいっぱいになったゴミを運んでいる。
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バザールですごく愛嬌のあった少年
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障害者の学校でまじめに授業を受けている子供たち。こういった施設も海外からの支援で運営されている。
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少女達もショールを被っている。
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何か頭の良さそうな少年
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カメラを構えると皆無邪気に寄ってくる。
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この子達は何か照れくさそう。
働いている子供たちをみると、恐らく学校に行けていないんだろうなと思う。
どこか明るい表情と澄んだ眼に心が少し救われた。
早くこの国に安定が戻り、この子たちが皆、学校に行ける未来が来ることを心から願う。
最後に興味深い絵はがきを紹介する。タリバンに破壊されたバーミアンの仏像で、破壊される前と破壊後。
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絵はがきのネタにされているのが何とも寂しい。
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どんなに治安が悪い街でも、人々が生活しているところには市場(バザール)がある。また、市場をみれば、人々の暮らしぶりがよくわかる。当時のバザールは、外国人が観光ムードで入っていけるような雰囲気ではなかったのだが、視察がてら車から少しのぞいてみた。
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イラクには立派な近代的ショッピングセンターがあるのだろうが、ここにはそんなものはない。その代わりに、売り手と買い手の活気と熱気で溢れたバザールがある。
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ものの善し悪しは別として、ありとあらゆるものが売られている。
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ケバブ(串焼き)を売る陽気なおじさん。この顔を見ていると、そんなに危険な場所とは思えないのだが。。。
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女性達はみなブルカを被っている。ブルカの顔の部分はメッシュになっていて外が見えるようになっているのがわかる。確かに街で女性を感じることはない。これが健全なのだろうか?
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ブルカの下は意外と自由なのだろう。
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アディダスのロゴの下にナイキのマークが??中国製か?
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いかにもアフガニスタンという感じのおじさん。
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食料品、衣料品、日用品と色んなものが売られている。その売られ方がまた面白い。
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ブルカ姿の女性が井戸端会議のように集まる露店。いったい何を売っているのだろう。
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女性のブルカ着用など性的に抑圧された雰囲気の中、なぜか女性用の下着は店頭で無造作に売られていた。この辺の対比がおもしろい。
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もちろん色んな豆や香辛料も売られていた。
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自分にとって一番不思議であったのがコレ。なぜか背広の上着がこういった形(裏地を表にして、きれいに重ねてある)で陳列されている。何で??表地がホコリで汚れるのを防ぐためなのか?型くずれを防ぐのか?それにしても今まで見たことのない売り方だ。
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これは肉屋の様子。イスラムの国では主に羊と鶏を食べる。これは羊の肉だ。独特の匂いが周囲に漂う。スーダンでもペルーの地方都市でも同じように売られていた。肉の売り方は世界共通なのであろう。
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冷蔵のパック売りが当たり前の我々には、なかなかなじめない光景なのだが、ほんの少し前までは世界中で見られた光景なのだろう。
余談:このバザールには食事に使う皿を買いに行った。大中小とセットになっていて、見た目は立派な箱に入った皿を買ったが、どれ一つとして裏が平らでなく、置くとガタガタしてまともに使えない。交換に行っても皆同じであった。こういった無法地帯の国には、どうも一般には売ることの出来ないような、本来は廃棄されていなくてはいけないような物が、市場に出回っているように思える。
スーダンでは国連が難民用に援助したイタリア米が、街の商店で売られていたし、世界中で問題になり廃棄されたはずである遺伝子組換えの小麦粉が、市場に出回っているという噂もあった。世界中の危険な物や不要な物が、裏でこういった国々に流れ込んでいるのであろうか。
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その国の社会保障の程度を知るには、現地の公的医療機関を見るのが一番だ。ちょうどカブール郊外の公立病院を訪問する機会があったので、その様子を紹介する。建物の外観が写せていないのだが、この地域では中心となるべき病院である。
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写真は診察室の様子。いすとベッド以外に何もない。
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これはこの病院のお医者さん達と撮った記念撮影。何か。。。。
忙しそうに働いている様子は無かった。。。
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これは病院薬局の薬品棚。何も無い。
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悲しいぐらいに何も無い。これがアフガニスタンの現状だ。
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これは病室の暖房器具。カブールは内陸の盆地で冬は非常に冷え込む。
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病室内の様子を撮らせていただいた。結構たくさんの患者さんが入院していた。
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何かを訴えているようだ。
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中には我々とよく似たモンゴル系の顔つきの人もいる。恐らくハザラ族の人だろう。
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廊下で歓談中の患者さん達。
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小さい子ども達も入院していた。カメラを珍しそうに見ていた。
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額には何を塗っているのだろう。
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無表情な人たちが多い病室で、少女達の笑顔に少し救われた。
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少女達はカメラを向けると恥ずかしそうに微笑んでくれた。
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国が混乱する中、医薬品だけでなく、医師や看護師などの教育も遅れ,その絶対数が不足している。
一般に医学の遅れた途上国では、優秀な医師達は欧米で学び、その知識と技術を持ち帰る。アフリカでも、旧宗主国のイギリスやフランスで研鑽したドクター達がたくさんいた。でもこの国にはそういった交流もあまりなさそうだ。
この病院には薬が無い、検査機器など皆無である。でも患者はたくさんいる。ヒト?モノ?援助をするといっても、どこから手をつけて良いのか途方に暮れてしまう。
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世界で危険な国は?というと、イラクやアフガニスタンと答える人が多いと思う。どちらの国もイスラム過激派が活動し、連日自爆テロなどのニュースが報道され、治安が悪い国であることには違いないのだが、この2つの国の背景は根本的に異なる。
イラクは産油国で豊かな国、サダム・フセイン政権が崩壊するまでは繁栄していた国で、現在はテロで混乱はしているが、社会インフラは整った国だ。一方のアフガニスタンは元々貧しい内陸国で、数十年に及ぶ内戦で国土は疲弊している。壊れた上から潰されているといった感じだ。インフラ自体が全くないと言って過言ではない。
自分もいろんな国を見てきたが、事務所の机上に電話機のない国はアフガニスタンが始めてであった。つまり首都のカブールでさえ公衆電話回線そのものが整備されていないのだ(2003年当時)。手っ取り早く通信網を作るために、先に携帯電話が拡がったのだが、これが本当に使えず、大事なときには繋がらない。カブール市内にある事務所から同じ市内にある病院へ緊急時に連絡するのに、馬鹿高い衛星通信を使用せざるを得ない状況であった。
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街から少し郊外に出るとこういった風景が普通になってくる。
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破壊された建物がそのまま放置されている。
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いつ破壊されたものなのだろうか、
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廃墟にテントを張って店を出している。
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恐らくかなり以前に破壊されたものだと思うが、それを建て替え、復旧するというような光景はあまり見ることが出来なかったし、何せそのままなのである。街が破壊された時のまま、時間が止まっているのである。こんな光景ははじめてだ。
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これは映画館であった建物。以前はこういった娯楽を楽しむこともできたのであろう。
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ぐっしゃりと壊れてしまっているが、
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ここも廃墟を利用して自転車屋になっている。何ともたくましい生活力だ。
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同じように、ボスニア紛争の戦火に見舞われたボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボという街を見た。街のあちこちに戦火の傷跡が残っており、オリンピック会場は墓場となり、建物の壁には銃弾の跡を修復した跡があちこちで見られたが、街は着実に復興していた。それに比べこの街は止まっている。
(サラエボについては改めて紹介する。)
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少し遠乗りをすると、このような雄大な景色を見ることができる。
ところが、あたりには危険な場所が未だにいっぱい残っている。写真の赤い印は"ドクロマーク"。つまり一歩先は地雷原なのだ。
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使用されなくたった戦車も野ざらしに放置されたままだ。
政情不安と治安の悪さがこの国を国際社会の支援から遠ざけている。
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ここから何回かにわたって、アフガニスタンの首都、カブールの街並みを紹介する。テロなどのニュースでよく出てくる地名ではあるが、観光で行けるような場所ではないので、実際の街の風景はご存じない方がほとんどであろう。
2003年3月、ちょうどイラク戦争がはじまった頃、自分は出張でカブールに1ヶ月滞在していた。当時のカブールには、国連など国際機関、NGOなどを通じて100名以上の日本人がアフガニスタン支援のために滞在していた。現地の衛生環境は劣悪で、まともな医療機関などなく、彼らの医療支援を行うことが出張の主な目的であった。
ご存じの通りアフガニスタンはイスラム教国で、当時はタリバンというイスラム過激派が息を吹き返していた頃でもあったので、街中でパチパチ写真を撮れる状況では到底なく、ほとんどが車内からや隠し撮りに近い撮影なので、お見苦しい写真が多いと思うがご容赦願いたい。
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いったいどうやって行くの?とよく聞かれるが、当時はドバイとパキスタンのイスラマバードから国連が定期便を飛ばしていた。
自分はワルシャワからフランクフルト経由でドバイに入り、そこから国連機でアフガニスタンの首都カブールへたどり着いた。写真はカブール到着寸前の様子、標高の高そうな山々の中を着陸していった。
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これが空港?と頭をかしげたくなるような殺風景な空港で、アリアナ航空というアフガニスタンの航空会社の飛行機が駐機していた。もちろん初めて見たマーク。空港ターミナルも老朽化著しく、荷物のターンテーブルが錆び付いていて動かない。荷物の出口に自分から潜り込んで、自分のスーツケースを引っ張り出した。反射的にこういった行動ができる自分に苦笑い、アフリカでのいろんな経験が生きている。
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高台からカブール市街を見渡した様子。カブールは標高1800mの盆地で、周囲を高い山々に囲まれている。
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街は緑が少なく茶色の世界。高い建物もほとんどない。街の様子はスーダンのハルツームにどこか似ている。
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当時のカブールは治安が悪く、個人での移動は禁止されていて、出張期間は合宿生活。職場近くの一軒家を借り切って一部屋ずつ割り当てられ、トイレ、シャワーは共同であった。これが宿舎の窓から外を眺めた様子。
到着したその夜、時差ぼけで早くから眠っていた私は、突然のバコーン!!という爆音で飛び起きた。部屋の窓がビリビリいうような爆音だ。近くでロケット弾が爆発したらしい。廊下に飛び出ても他の部屋の住人は全く反応をしない、そんなことには皆慣れてしまっているのだ。マジで恐ろしいところに来てしまったと、後悔してももう遅い。いきなりの強烈な洗礼であった。
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朝の通勤ラッシュの様子。かなり歴史物の日本車が現役で走っていた。
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職場近くの広場でサッカーを楽しむ人たち。周囲の山々が本当に美しい。
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出張中の宿舎は合宿生活、食事も皆で協力しての自炊であった。病人が出なければ暇な自分は、いつも買い出し係。このオヤジの八百屋には大変お世話になった。
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いつもキロ単位でニラやキャベツを買っていた。色とりどりの野菜が整然と並べられてあり、周囲が埃っぽい茶色の世界なので、この八百屋の原色が非常に新鮮であった。
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街にはおんぼろ車と共にロバに引かれた荷車が走っていた。
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カブールの女性は皆このブルカという水色の衣装を着ており、外からはどんな人かはわからない。イスラムの世界では、女性は男性を惑わすという考え方のようで、外出するときにはこれを着て身体の線や顔を隠す必要があるというもの。こういった宗教的な意味と女性を誘拐などから守るという意味があるという。目の部分だけ網のようになっていて、外が見れるようになっている。
サウジアラビアのリヤドでも女性はアバヤといわれる黒装束で身を隠していたが、女性にとっては何とも大変だ。
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このブルカのおかげでアフガニスタン滞在中に職場以外でアフガニスタン女性の顔を見ることはほとんどなかったし、写真を撮ることもできなかった。ブルカを着ていると、年寄りなのか若いのか年齢すらもわからない。
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ここはチキンストリートという、カブールで唯一の土産物を買える通りだ。買い物好きの私は滞在中によく通った。
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絨毯や骨董品(これが非常に価値のあるものらしい)、それからアフガニスタン特産のラピスラズリーなどが売られていた。
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この危険な街に観光客など来るわけもなく、客の多くは治安維持のために駐留しているヨーロッパの軍人たちであった。
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無造作に絨毯が並べられているが、結構良い物もあるようだ。
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中に入ると、ひげ面のおじさんが気さくに次から次へと絨毯を広げて見せてくれる。
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アフガニスタンの人は皆気むずかしそうな顔をしているが、話し好きのいい人が多い。
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日本でもパワーストーンで有名なラピスラズリーだが、漢字では瑠璃(るり)と書く。高松塚古墳の壁画に使われている青はこの瑠璃なのだそうだ。アフガニスタンに来て瑠璃色の意味がわかった。ちなみにこのラピスラズリーはアフガニスタンとチリが原産国。ペルーに在勤中、チリには仕事でよく行ったが、ラピスラズリーの質、青の濃さではアフガニスタン産に軍配が上がる。青が深く濃く、白い不純物の少ない物が上物なのだ。
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自分がカブール滞在中に開店したレストランを一つ紹介する。イラン料理レストランでなかなか美味しかった。外国人向けのこういった店も少しずつ増えてきているようであった。
次回はカブールの厳しい現状を紹介する。
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