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“ドクトル・イトウの地球の果てまで“ 世界60ヶ国以上を訪れた、院長のちょっと変わった見聞録
本当に久しぶりの更新だ、『ドクトル・イトウの地球の果てまで』もとうとう10年目に突入。これは我ながら凄いことだと思う。
院長は2006年からの4年間を、ペルーのリマにある日本大使館に医務官として在勤した。すでに中南米編でペルーやボリビアの街の様子や絶景を紹介してきたが、今回は9年ぶりにペルーとボリビアを訪れた。
ある時、大学時代の友人から『マチュピチュを見てみたいなあ』と言われ、『ほんなら行こか!』とツアコン役を買って出て、2019年5月の大型連休を利用した全9日間の日程で、ペルー、ボリビアの絶景を見て回り、最後にリマでゴルフをして帰るという、50歳半ばを過ぎたおっさんには、かなりきつい行程の弾丸ツアーを決行した。
9年前には、マチュピチュとウユニ塩湖を9日間で回ることは不可能だったが、クスコから直接ボリビアの首都ラパスに飛べるようになったこと、ウユニに空港ができて、ラパスから飛行機で行けるようになったことで可能となり、最近は両方を組み込んだツアーが増えている。ただしかなりきついので、院長が見どころだけを凝縮してツアーを組み直し、まだ行けてなかった『マラスの塩田』やウユニ塩湖では日の出と日没、星空ツアーも満喫した。
日本を土曜日午後に出発し、ロサンゼルス経由でほぼ丸一日かけて深夜0時にリマに到着、空港に隣接するホテルで仮眠を取り、翌朝、クスコへ移動し、早速、数時間でクスコの市内観光。いきなり標高3400mの世界だ。
到着した日はアルマス広場で大きなパレードが行われていた。
走っている車は9年前より少しマシにはなっていたが、旧市街の様子は昔と一緒。
定番の『12角の石』。一見、何が凄いの??という感じなのだが。。インカ帝国には鉄が無かった。つまり鉄を使わずに石を切り、12角も合わせて、カミソリの歯一枚通らないといわれるぐらい、隙間なく積み上げているということが凄いのだ。
これは以前にも紹介したが、単なる黄色い車ではない。現金輸送車だ。馬鹿げているようだが、武装集団に襲われても、爆弾を仕掛けられても大丈夫なように、装甲車のような構造で、扉がない。観光客には実感しづらいが、これがペルーの現実なのだ。
これも観光業の地元のみなさん。
ここも定番、コリカンチャ(太陽の神殿)の中庭。侵略者スペイン人が略奪した黄金の多くが、ここコリカンチャから持ち出されたそうだ。
コリカンチャの回廊、当時は黄金で覆われていたそうだ。
重厚感のある建造物だ。
時間節約のため、昼ごはんは車中でお弁当にして、マチュピチュ行きの列車に乗り込むオリャンタイタンボ へ向けて車で移動。『聖なる谷』、アンデスの絶景を眺めながら、『ピサックの市場』が見えてきた。
街を知るには市場を見ればいいとよく言われるが、アンデスの市場『ピサックの市場』の様子。ペルーはじゃがいもの原産国で、その種類は数百あると言われている。
市場の様子は9年前と何ら変わらない。
かまどでパンやエンパナーダ(パイ)を焼くお店も昔と変わらない。
これがクイというモルモットの仲間。アンデス地方では食用で、精力のつく「ごちそう」なのだ。
こんな姿(丸焼き)で売られている。院長はこのクイを何度も食べた。見る姿にひいてしまうのだが、味は結構美味しい。
今回、久しぶりにペルーを訪れるにあたり、是非行ってみたかった所の一つが、「マラスの塩田」だ。ペルー在勤中に、仕事や旅行でクスコには何度も来ていたのだが、何故か今まで行く機会がなかった。「マラスの塩田」はクスコから車で1時間半、ピサックの市場を経由して、マチュピチュ行きの列車に乗り込むオリャンタイタンボへ向かう途中で立ち寄ることができる。
美しく素朴なアンデスの絶景を見ながら進んでいく。
"聖なる谷"と呼ばれるウルバンバ渓谷に突如、白い「マラスの塩田」が現れた。何でこんな所に、ここだけ?という感じだ。
アンデネス(アンデスの段々畑)の様に、白い塩田が広がる。
塩にまつわる景色は色々見てきたが、今までに見たことのない光景だ。
塩田の仕組みの説明を聞きながら、畦道を進んでいく。
この地域には高濃度の塩水が湧き出ており、インカ帝国以前の約600年前から製塩が行われていたらしい。
いわゆる用水路を通して、塩水が塩田に送り込まれ、これを天日で乾燥させる。今も昔と変わらない製法で塩が作られているらしい。水路の開閉は石ころで。。。確かに昔と変わらないようだ。
我々が訪れた5月初旬はまだ乾期が始まったばかり、これからもっと白くなっていくんだろう。
標高3200メートルに広がる塩田の光景は圧巻だ。
売店では、ちゃんとお土産の塩を売っている。
マラスの塩田から陸路でオリャンタイタンボへ移動。
ここからマチュピチュの麓の村、アグアスカリエンテス行きの列車に乗り込む。以前はペルーレイルしか無かったが、今はインカレイルと2社が運行している。今回はインカレイルに乗り込む。
車内はこんな感じで、窓を大きくとってある。ペルーレイルのビスタドームとあまり変わらない。
マチュピチュ目指して、ウルバンバ川に沿って渓谷を走っていく。夕暮れ時には夕焼けに燃えるような景色が楽しめる。
2時間半ほどでマチュピチュ村と呼ばれている、アグアスカリエンテスに到着。ちなみにアグアスカリエンテスとは「熱い水=温泉」という意味で、村には温水プールのような温泉がある。今回の宿はINKATERRA MACHUPICCHU、コテージタイプの素敵なホテルだ。
今回の旅で初めてのまともな夕食。ここに来たら、ビールは「クスケーニャ」。ボトルにマチュピチュがデザインされている。
コースのメインは「クイ」を選択。
前々回にも紹介したが、「クイ」とはモルモットの仲間。
丸焼きとか開きのオーブン焼きが一般的なのだが、流石にホテルでは上品に調理される。味は美味。
これからマチュピチュを訪れる方へ、これだけは絶対参考にしてほしい情報。マチュピチュは早朝と午後とではその見え方がかなり違ってくる。また、山の天候は不安定で、朝が雨で午後から晴れるということも多い。この「雨のマチュピチュ」というのも幻想的で「天空の城ラピュタ」そのもので本当にすばらしい。でもそれだけではやっぱりもったいなく、晴れたマチュピチュは必ず見なくてはならない。クスコから日帰りのマチュピチュツアーだと、午前後半のマチュピチュのみしか見られない。もしそれが雨だったら、晴れたマチュピチュは見ることができず仕舞いで帰らなくてはならない。
そういうことで、マチュピチュ観光では必ず、マチュピチュ村に一泊して、早朝と午後の2回マチュピチュを見てほしい。以前は1枚の入場券で何度も出入りできたのだが、今は1枚の入場券で4時間の滞在時間という制限が設けられるようになってしまった。そこだけは贅沢して早朝と午後の2枚の入場券を購入してほしい。
朝一番にマチュピチュへのバスのりばへ向かう。もうかなりの列が出来ている。
出遅れた様相だったが、我々はプライベートガイドを頼んでいたので、ごぼう抜きでバスに乗ることが出来た。
マチュピチュの入り口、世界中からの観光客でごった返す。懐かしい!、自分にとっては3度目のマチュピチュ。
アメリカの探検家ハイラム ビンガムが1911年にマチュピチュを発見したプレート。
マチュピチュが見えてきた。
最初に見えるマチュピチュの全景。これには流石に息を呑む。
リャマとマチュピチュ。
この日は晴天。少し朝霧がある方が雰囲気が出るのだが。。。
マチュピチュがインディアンの顔に見える角度。左の小山(マチュピチュ)が顎、右の高い山(ワイナピチュ)は鼻、
そして右端が眼で、インディアンの横顔に見える。
朝のマチュピチュは雲の様子がまた面白い。
コンドルが飛んできた。
左下の渓谷には、マチュピチュ村へ向かう列車(インカレイル)が走っている。
少しずつ下っていってマチュピチュを眺める。左下が太陽の門。
子リャマとマチュピチュ。
遺跡の入り口、太陽の門。
マチュピチュの農業セクターであるアンデネス(段々畑)。
整然と並んでいて、この景色も美しい。
アンデネスにリャマがよく似合う。
遺跡の中の様子。
腰掛けて、ぼーっと眺める。雲がきれいだ。
朝日とリャマ。
ワイナピチュの登山口。これから登る人たちでごった返している。我々はパス。
一旦遺跡を出て、サンクチュアリ ロッジで早めの昼食を食べて、再度マチュピチュへ入場。
早朝のマチュピチュは朝霧や朝日の加減でややぼやけた感じだが、午後はくっきりと見える。
早朝の方が写真としては面白いのだが、やはり、くっきりと見えるマチュピチュも見ておきたい。
思う存分写真を撮って、マチュピチュ観光は終了。
マチュピチュ村(アグアスカリエンテス)へ戻る。線路に沿って、レストランや土産物屋が並ぶ。
アグアスカリエンテスの街並み。奥が教会。
建物のすぐ後ろに、山がそそり立つ。
夕方発のインカレイルで、オリャンタイタンボへ向かう。
帰りも夕暮れ時、夕日のきれいな光景が車窓から見られる。
オリャンタイタンボに到着。青い列車はペルーレイル。
外は真っ暗。ここから車でクスコへ戻る。
さてさて、マチュピチュ観光を終えて、次の舞台、ボリビアへ移動する。
今はクスコからリマに戻ることなく、直接ボリビアの首都、ラパスへ飛ぶことができるようになった。今回利用したのはアマゾナス航空でボリビアの航空会社。クスコーラパス間、ラパスーウユニ間のフライトは、ボリビアの航空会社を使用せざるを得なく、航空会社の信頼性が低いので、突然のフライトキャンセルや遅延などにハラハラドキドキ。
予定通りクスコを立ち、無事にラパスに到着。ボリビアの首都ラパスは標高3600mで、世界一標高の高い首都として有名だ。ラパスはすり鉢状の地形をしていて、街はすり鉢の底、空港はすり鉢の縁にあって、さらに標高が高い。空港の名前は「EL ALTO」、日本語で「高い」という意味でそのままだ。
空港からラパス市街へ向かう道路、空港が市街より高くにあることがわかる。
展望ポイントからラパス市街を見下ろす。街のすぐ外は荒涼とした原野が広がっている。森林限界を超えているので、木々が生えないのだ。
標高3600mに高層ビルが林立する都市がある。まるで月面に都市が現れたようだ。
街の中に入ると、そこは他の南米の街並みと同じで、標高3600mであることを忘れてしまう。アンデスの民族衣装を着た人たちもよく見かける。
日本では見ることもなくなった、ボンネットのあるバス。レトロ感満開だが、こちらでは現役で走っている。
街角の様子。ボリビアは「ウユニ塩湖」などの観光で有名にはなったが、南米では最貧国なのだ。
ナースのような格好をした学生さん。
物売りのおばちゃん。
土産物屋が並ぶ通り。
店内にはぎっしりと土産物が陳列されている。
雰囲気のあるおばあちゃん。
見所のあまりないラパスで、郊外にある定番の観光地、「月の谷」。
木々のない、ガタガタの光景が、月面の様子に似ているという。その奥に見えるのがゴルフ場で、恐らく世界一標高の高いゴルフ場だろう。よく飛ぶのだろうか?
スマホアプリの高度計を見ると、4000mを超えていた。そんな高度の地に、登山することもなく、普段着で観光している事に改めて感動した。バタバタと半日のラパス観光を終えて、そのまま空港へ向かう。いよいよウユニへ発つ。
ラパスを午後7時に発って、1時間ほどでウユニへ到着。現地はもう真っ暗だった。
今回のホテルはクリスタル・サマーニャ、現在ウユニに3件ある、いわゆる塩のホテルの一つだ。
基本的に塩のブロックでできていて、イスやテーブル、ベッドなども塩でできている。
壁も塩のレンガでできていて、床にも塩が敷き詰めてある。
ソファーやテーブルも塩でできている。
部屋の様子はこんな感じで、必要な物は最低限そろっていて、意外と快適に過ごせる。遅めの夕食を済ませて、早速、星空ツアーに出かけた。5月は乾期の始まりで、もう水溜まりが少ないのだが、ドライバーに頼んで、水の残っている場所に行ってもらった。
車の外に出てみると、もう絶句!。
天の川がはっきりと見える。
塩湖にまだ水が残っている場所なので、塩湖の表面にも星が映り、360度全面に星が広がる。
これだけたくさんの星を見たのは生まれて初めてだ。
星空を見ると言うよりも、星空の中に立つという感じだ。
この時期のウユニの夜は結構冷える。氷点下を想定したような防寒着で望んだが、それでちょうど良かった。
本当に自然のプラネタリウムだ。
星空を見るにも色々条件が必要であると言うことがわかった。もちろん晴れて雲が少ないことが一番なのだが、月の影響も大きく、満月だと明るくて星が見えづらい。我々が行った日は偶然にも新月に近い日で、星がよく見えた。
もちろん見えているのは太陽のような恒星だけで、その周りには地球や火星のような惑星があるわけで、そうかんがえると、とてつもない数の星が存在するわけで、まさに天文学的数字とはこのことなんだと。。
たった数十分だがインターバル撮影をしてみた。
弾丸ツアーはまだまだ続く。ホテルへ戻ってしばし休息を取り、早朝からのサンライズツアーに備える。
早朝に再び防寒着に着替えて、サンライズツアーに出発。睡眠時間も短いので、疲れはそろそろマックスだ。
ふたたび、水が残っている場所へ。
ウユニ塩湖は四国の半分ほどの大きさがある。5月は乾期の始まりだが、まだ水が残っている場所がある。
塩湖の表面の水が鏡となって空を映すため、地平線で対称になり、どこまでが空かがわからなくなる。
空がだんだん明るくなってきた。しばし日の出を待つ。
同じホワイトバランスで撮っているのだが、
空の色が見事に変わってく。
そろそろ夜明け。
雲が湖面に映って美しい。
地平線が輝きだした。
何とも幻想的な光景だ。
少し太陽が見えてきた。
院長は三脚2台を駆使して、必死で撮影していたのだが。。
肝心の瞬間になって、突然風が出てきた。湖面が風で波立つと、鏡でなくなってしまう。
ご来光!!
ホテルに戻って朝食を食べ、今度は日中の白い世界へ。
朝食を摂り、しばし休憩して、今度は日中のウユニ塩湖ツアーへ出発
ランドクルーザーの上に、イスやテーブルを積んで、塩湖の中を爆走する。
延々と白い世界と青空が続く。乾期のウユニ塩湖だ。
四国の半分もある大きさの塩湖に目標物などほとんど無く、いったい何処を走っているのか何故わかるのだろう?
塩湖の表面は塩の結晶で、蜂の巣のように、なぜか六角形の模様ができる。
水が残っている場所にやって来た。
塩湖は一変して、水鏡になる。
何やら衣装を着て、パフォーマンスをしている集団がいる。
どうやら結婚式の写真を撮っているようだ。正装の下は長靴(笑)。
同行してられる友人達が色とりどりの衣装でパフォーマンス。
以前は集めた塩で作られた小山が小さなピラミッドのようで美しかったのだが、今はあまりない様子。
これが元祖塩のホテル「プラヤ・ブランカ」。塩湖内の唯一のホテルで、元々は「塩のホテル」というとこの建物を指したが、下水が無く、環境問題等で、今はホテルとしては営業せずに、休憩所のようになっている。
「プラヤ・ブランカ」の前に、世界各国の国旗がたなびく風景は有名だ。
ウユニ塩湖に浮かぶ島「インカワシ」に到着。乾期には「島」というよりも「小山」の様なのだが。。
どのツアーも必ず立ち寄る場所で、
トイレが有りドライブインのようになっている。もちろん店など無いのだが。
驚いたのが、定期運行しているバスがあるということ。地元の人たちが使うバス路線なのだそうだ。
この島、サボテンで有名なのだが、なんと珊瑚でできている。
つまり標高3700mのこの地が、海の底にあった証拠でもある。地殻変動で海がせり上がって、残った海水が塩湖になったのだから、当然と言えば、当然なのだが。。自然の凄さを再認識した。
たいした高さでは無いのだが、この小山を上るのは結構大変。さすがに空気が薄い。
パルスオキシメーターを持参して、時々測定していたが、酸素飽和度82%なんて、通常ではすぐに酸素吸入!の世界だ。
ウユニ観光も終盤戦、午後8時のフライトでラパスに戻る。それまでの時間、ギリギリまでウユニのサンセットを楽しむ。
何処の景色でも、日の出と日没時は美しい。
夕暮れが近づいてきたので、水のある場所に戻ってきた。
ガイドさんがボリビア産のワインとスナックを用意してくれて、一杯やりながら夕暮れ時を楽しむ。
ウユニでは、星空-朝日-昼-日没と丸一日を観光した。
ウユニの〆に、サンセット。
何とも美しい。
日が沈むにつれ、空と雲の色が変わっていく。
静かな時間が流れていく。
水鏡も澄んで綺麗だ。あちこちでサンセットを楽しんでいる。
結婚カップルの一行も撮影をしていた。
逆光で光と影の光景も美しい。
皆、何かパフォーマンス写真を撮っているようだ。
塩湖と空と雲の素朴な景色、
刻々と変わる、色の変化を楽しむ。
自分はこういう風景が好きだ。
名残惜しいが、そろそろおしまい。
塩湖を後にして、急ぎ空港へ向かう。
アマゾナス航空のラパスへのフライトは、無事に定刻に出発してくれた。
ウユニから夜にラパスにもどって一泊し、翌朝のフライトでペルーのリマに戻る。
リマの空港に戻ってきた。初日の到着時は深夜だったので、始めて到着した感じだ。9年前と空港はそんなに変わっていないし、空港周辺の空気感も以前と何も変わっていない。
喧噪の街の様子はあまり変わりない。プロパンガスのボンベをバイクに積んで走る人。事故に遭ったらどうなるのか?自爆テロのようなバイクだが、これがペルー。
信号待ちでのパフォーマンス。赤になるといきなり出てきて、ジャグリングを始める。絶妙のタイミングで終了し、車の窓越しにチップを集める。ジャグリングがミスって長引くと、チップを貰う暇が無くなり終了。ペルーらしい懐かしく感じる光景だ。
ペルーというと、すぐに高地をイメージされるのだが、リマは平地で海岸がある。
ここはミラフローレス地区という、海岸沿いに広がる高級住宅街。夏に来ると、リゾート地のような雰囲気でここに住みたくなるのだが、1年の半分は海岸線から押し寄せる雲のような霧に包まれた街となる。
南米で一番旨いと言われるペルー料理を楽しむ。ペルー人は貧困層から金持ちまで、皆、食事にはうるさい。ペルーの食文化の歴史は面白く、契約奴隷として中国人が入ったことで、米食文化が入り、日本人移民が生魚を食べる文化を持ち込み、それらが融合して、面白いフージョン料理を生み出した。間違いなく日本人の口に合う。
写真は代表的なペルー料理、右が「セビッチェ」で、魚介のマリネだ。ペルー独特の酸味の強いレモンが決め手となる。使われる魚はヒラメやメロ(クエの一種)で、日本では高級魚だ。ちなみに院長の学友はリマに滞在中、ずっと「セビッチェ」を食べ続けていた。真ん中が「アローシュ・コン・マリスコス」で魚介のパエリアの様な食べ物。院長の大好物だ。左が「チチャロン」で魚介や鶏肉の唐揚げだ。いわゆるチャーハン(焼飯)も庶民のペルー料理で「チャウファ」と呼ばれる。日本の焼飯とそっくりで、ペルー中、何処でも食べられるので、旅行中、日本食が恋しくなった時に助かる。
院長が好きだったビール、「ピルセン」を久しぶりに楽しんだ。
翌日はペルー時代の友人達も含めて、朝からゴルフに向かった。ペルーに住んでいた時に会員になっていたゴルフ場、「ラ・プラニシエ」。
中は少し改装されてはいたが、雰囲気は昔と同じ。ペルー人は週末に家族でやって来て、父親はゴルフ、母親はテニスやエクササイズ、子供はプール遊びを楽しみ、食事をして帰るというのが、お金持ちのペルー人のスタイル。
リマ独特の荒涼とした岩山を背景にしたゴルフ場。
各自にキャディーがついてくれる。
スコアは散々だったが、目的であったペルーでのゴルフも達成できた。
午後から土産物屋を巡り、深夜リマを発ち、帰路についた。高地が続くので、体力的にも厳しく、まさしく弾丸ツアーであったが、特にトラブルも無く無事に終えることができた。さすがに60過ぎたらしんどいかな。。。