院長のコラム | スーダン

“ドクトル・イトウの地球の果てまで“ 世界60ヶ国以上を訪れた、院長のちょっと変わった見聞録

第1回 ハルツーム(スーダン):ナイルの合流点

 第1回目に何処を取り上げようかとあれこれ考えたが、やはり自分たちの原点であるスーダンからスタートしたい。
"スーダン"って何処にあるの?どんな国?とよく聞かれる。スーダンはエジプトの南に位置し、面積はアフリカ最大で日本の7倍近くある大きな国だ。現政府はイスラム原理主義の国で、アラビア語を話す。北部はイスラム教徒、南部はキリスト教徒が中心で、当時はまだ南北で内戦が続いていた状態であった。
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 2000年6月、フランクフルト経由でスーダンの首都ハルツームに降り立たった。そこは灼熱の世界、日中は恐らく50度近くあったのではないかと思う。"赤茶けた埃っぽい街"飛行機から見下ろしたこの街の第一印象である。
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 私が滞在した2000から2002年当時、この国はまだまだ開発から取り残されていて、首都のハルツームでさえ、信号やエレベーターというものを見かけることが少なく、エスカレーターは見ることがなかった様な気がする。
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 これは自宅近くの風景で、ロバに乗った少年がちょうど通りかかったのでパチリ。オンボロ自動車と一緒にロバの荷車が当たり前のように走っていた。
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 これはナイル川が増水し氾濫しかけた時に、ホテルの屋上から眺めた様子。ハルツームで一番立派なモスク(イスラム寺院)が見える。これを見ると結構まともな景色に見えるのだが。。。
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 真下を見るとこういった光景で、到着当初は娘たちと、こののどかな風景を、いつも部屋の窓から眺めていた。 
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 スーダンでは何が有名?と聞かれると、正直なところ答えに窮する。ただ、地理を勉強した人なら、首都ハルツームは青ナイルと白ナイルが合流してナイル川になる、ナイルの合流点の都市と習ったことがあるのではないだろうか。ヴィクトリア湖から流れてくる白ナイルとエチオピアのタナ湖から流れてくる青ナイル、これらが本当に青色と白色だということは、ここに来るまで知らなかった。
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 ボロボロの観光船でこのナイルの合流点を見に行くというツアーがあった。写真のように合流点にきれいな線ができる。手前が白ナイル、奥が青ナイルだ。事の真偽は別として、スーダンの人は「青ナイルでは泳いでもかまわないが、白ナイルには寄生虫がいるからダメだ」と言っていた。スーダンでは生で魚を食べる習慣などないが、以前、日本人が冷凍で持ち込んだ食材で、手作りの鮨をふるまったところ、その後にそれを真似て、このナイル川でとれた魚で鮨(のようなもの)を作ったスーダン人がいたという、恐ろしい話を聞いたことがある。
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 スーダンのお土産は?といわれると非常に困るのだが、トレードビーズといわれる所謂"とんぼ玉"があった。このトレードビーズ、名前の"トレード"は貿易、つまりヨーロッパ人が象牙や奴隷とこのとんぼ玉を交換に交易をおこなっていたのだ。
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 ハルツームの近く、オムドルマンという街にある土産物のスーク(市場)で、このトレードビーズは売られていた。
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 ベネチア製のものが有名で、いろんな種類の模様と形があり、コレクターも多いと聞いた。
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 忘れてはならないハルツームの名物はハブーブ(砂嵐)だ。これは自宅の窓からの景色である。すべてが砂色に変わる。窓のサッシを閉めていても、パウダーのような砂が室内を襲ってくる。
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スーダンの生活で一番辛かったのは朝の暑さだった。日中はとんでもなく暑いので、学校も仕事も朝早くはじまり午後早くに終わる。暑い朝はやっぱり冷たい水で顔を洗いたいのだが、早朝、洗面台の蛇口をひねると水の蛇口から熱いお湯が出てくる。外気の温度で貯水槽が暖められてお湯になってしまっているのだ。また、玄関のドアを開けると、ドライヤーのような熱風が襲ってくる。灼熱の街ハルツームだ。熱いといっても、われわれの経験したことのない類の暑さだ。湿度が極めて低いのだ。日中、外を歩いても汗をほとんどかかない、スーッと汗が蒸発していくのを感じる。プールに入るとそれをよく実感できる。外は灼熱の暑さであるのに、水から出ようとすると凍りつくように寒く、しばらくガタガタと震える。気化熱が急激に体温を奪うのだ。
 この暑さの中から生まれた、庶民の知恵をひとつ紹介する。ハルツームの街を歩いていると、あちこちにこういった"かめ"のようなものを見かける。
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 よく見ていると、地元の人はここから水をすくって飲んでいる。これは素焼きでできた自然のウオータークーラーなのだ。素焼きにしみ込んだ水が気化熱で冷やされて、中の水は冷たくなるという仕組みである。我々がこの水を飲んだらどうなるか???もちろん脱水症になるであろう。(笑)

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第2回 メロエ遺跡(スーダン):ヌビアのピラミッド

 スーダンの首都ハルツームの北300キロの砂漠にヌビア文明のピラミッド群があるという。2001年当時、許可を取らないとハルツームから外に出ることができなかった外国人にとって、非常に興味深い場所であった。それがその後、世界文化遺産に登録されたというので驚いた。恐らく世界で最も行きにくい世界遺産の一つではないであろうか。ではどうやっていくのか?観光というものがほとんど存在しないスーダンで、そんなところにホテルなどあろうはずがない。調べてみたら、ハルツームから4WD車を借り上げて行くプライベートツアーがあった。1泊2日、運転手、ガイド、テント、食事のすべて込みで1人100ドル程度であったと思う。
灼熱の土漠を走ること5時間、メロエの遺跡に到着した。
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 パウダーのような赤茶色の砂漠の中に、先端部の無い小型のピラミッドが点在する。
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 ピラミッドの埋葬品目当ての盗掘にあったために、ピラミッドの先端部分がみな破壊されているらしい。エジプトのピラミッドに比べ、より先鋭な形をしている。
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 一通り、ピラミッドを見学して帰ってくると、見事にテント村が完成していた。トイレ用、シャワー用のテントまである。
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 質素な食事に寝袋の一夜ではあったが、満天の星空の下、なんとも贅沢な時間であった。こういった自然の中の建造物を見る上で一番大切なことは、そこで一泊するということだ。朝夕の色が変化する様子はまた格別なものである。
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 夜が明けてきた。
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 朝、目を覚ますと大笑い。なんと、テントの前ににわか土産物屋が開店しているではないか!近くに村などある様子は無く、彼らはいったいどこからやって来たのであろう?何とも微笑ましく、逞しい。
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 子供たちにとっては、砂漠も大きなお砂場。我が家の娘も遺跡などお構いなしで砂遊びに熱中していた。
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 大人も大きな砂山の上に登ると、爽快な気分になる。
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 帰路、ナカのライオン神殿、アモン神殿に立ち寄った。小さな遺跡ではあるが、壁に描かれた絵やヒエログリフはどれもエジプトで見たものと変わりなく、恐らく歴史的価値は大きいのではないかと思う。
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 こういった貴重な遺跡を放っておけるのは、さすがスーダンである。
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 これはラクダで井戸水を汲む様子。
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 どうやら深い井戸のようで、ロープで繋がれたラクダが、勢いよく丘を駆け下りていくと歓声が上がる。
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 彼らにとって真に命の水なのだろう。
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 シェンディーの街。
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 何とも素朴な風景だ。
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 途中給油したガソリンスタンド。
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 スーダンらしい光景だ。
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 最後の見どころ(らしい)、ナイル川第6瀑布。滝はどこに?と探したが、どうやら滝ではなく急流ということで、大した景色ではなかった。
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 しばし休憩する我々に近づいて来たスーダン人親子。父親が話しかけてきた内容に驚愕!!「息子の腎臓を買わないか?」。そういった闇ビジネスが、こんなところに入り込んでいるのかどうかは不明だが、スーダンの抱える問題を突きつけられた気分であった。

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第3回 肌の色(スーダン):スーダンの人々

 スーダンの人々を紹介しようと、撮りためた写真を探しても、顔の写った写真があまり見当たらない。イスラム社会ではむやみに写真を撮ることは厳禁だからだ。では、写真を撮られるのがそんなに嫌なのかというと、そういうわけではないようだ。
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 職場の現地職員の結婚式に招かれた(写真は新郎新婦)。
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 その日は夕暮れ時から、親類や近所の人たちが集まってお祭り騒ぎ。
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 大音響のスーダンミュージックで夜通し踊り続ける。
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 当時はまだデジカメというものが現地では珍しく、撮った写真がその場で見られるというので大騒ぎ。
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 次から次へと撮ってくれと集まってくる。
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 子供たちの目が、本当に生き生きとしている。
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 滅多に撮ることのできないスーダン女性達の笑顔も、この日は撮り放題だった。
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 ちなみにスーダンに限らずイスラム社会では、見知らぬ女性の笑顔を写真に納めることは非常に難しい。
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 家族や亭主以外の男に笑顔を見せることは、イスラムの教えに背くことだからだ。
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 人類学など難しいことは別にして、スーダン人の肌は写真のように黒い人と茶色い人に大別できる。
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 特に北部スーダンには、茶色い人が多い。地理的に考えるとその理由が見えてくる。エジプトを始め北アフリカや中東諸国には白い人が多い。
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 一方、西アフリカのギニア湾岸にはイスラム教徒が多いのだが、この黒いイスラム教徒たちが巡礼でイスラムの聖地メッカ(サウジアラビア)を目指す途中でスーダンは通り道となる。
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 北部スーダンの茶色い人達はこの黒い人と白い人の混血によってできたものと考えられているようだ。
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 この日はお祭り、食事も特別なごちそうなのだろう、子供達の目が輝いている。
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 最近の日本の子供達には見られない輝きのような気がする。女性達もこの日はとびっきりのおめかしをして輝いていた。


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第4回 命の水(スーダン):人道支援に関わって

 今回は少し真面目に、アフリカ諸国など途上国への"援助"について書いてみたい。アフリカでは欧米先進国が競って援助合戦を繰り広げている、最近では中国も加わり熾烈な競争だ。スーダンにも人道支援を職業とする世界中のNGO(非政府組織)が事務所を構えていた。中でも、特にヨーロッパ諸国は積極的に援助していた。
 かつて、アフリカの人的資源(奴隷)、天然資源を好き勝手に搾取したのがヨーロッパ人。その後、彼らが勝手に決めた国境線によって、アフリカは部族間の民族紛争を繰り返す。そのヨーロッパ人が今、施しのごとくせっせと人道支援を行っている。第三者であるアジア人の目から見ると、"富の循環"のように見える。
 自分はスーダンで"草の根支援"という日本政府の小規模な人道援助にかかわらせてもらった。費用対効果が大きく、できるだけたくさんの人々がその恩恵に授かることができる支援、そういったプロジェクトを探して援助するのがこのプログラムである。では、実際にどんな援助がおこなわれていたのかを紹介したいと思う。
 今のアフリカで最大の課題は「水と教育」であり、この二つは非常に密接に関わっているのだ。国の発展に不可欠であるのは教育であることに違いない。AIDS問題も、教育が行き届けば改善はするであろう。
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 スーダンの地方では飲み水の確保が非常に困難かつ重労働だ。片道何時間もかけて水くみに行くことも珍しいことではない。しかもその作業は主に女性と子どもが担っている。水汲みのために一日の大半を費やし、学校に行くことができず、職業を身に付けることもできない。
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 井戸を掘り、安全な水源を確保することは大事な支援だ。井戸と言っても200メートル近く掘る"深掘り井戸"で、そのまま飲めるようなきれいな水が得られる。
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 写真は難民キャンプに掘られた井戸で、ロバ車にドラム缶を積んだ給水車が集まってくる。
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 見てみると、皮肉にも自宅の水道水よりきれいな水だった。
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 ただし、こういった大がかりな井戸は、何処でも、簡単にいくつもというわけにはいかない。また、汲み上げポンプが故障したら、次の援助を待つのみであろう。そこで、より現実的でユニークな援助をいくつか紹介する。
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 このコンクリートでできたポットのようなものは、簡易浄水器だ。
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 この中に砂や土を入れて、貯めた水を濾過するのだ。
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 次に、これは水汲み作業を効率的かつ勘弁にするために、水のポットをボール型にして、そのまま転がして大量の水を楽に運べるように考えられたものである。両者とも非常に安いコストで、かつ材料は現地調達できる。単純でも、こういった現実的な援助が実際には役に立つ。

 次回は、アフリカならではの楽しみ"サファリ"を紹介する。

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