院長のコラム | ポーランド

“ドクトル・イトウの地球の果てまで“ 世界60ヶ国以上を訪れた、院長のちょっと変わった見聞録

第13回 ワルシャワ到着(ポーランド)ヨーロッパ編スタート

 2002年夏、灼熱の国スーダンからポーランドのワルシャワに異動した。東ヨーロッパの大国ポーランドで2006年までの4年間を家族と共に過ごした。我が家にとっては非常に思い出深い国。今回からはヨーロッパに舞台を移して、ポーランドの美しい風景と是非行って欲しいヨーロッパの「穴場」を紹介していく。
 砂漠の街ハルツーム、赤茶けたスーダンからヨーロッパの都市に降り立つと、緑の多さに身体が驚く。大げさな言い方ではなく、むせ返ると言う表現がぴったり来る。
 ワルシャワ、ポーランドの首都。ショパンが生まれた国、コペルニクスの国、ワルシャワ条約機構など歴史で名前を覚えた記憶がある。いったい何語を話すの?
 ワルシャワに着いてさっそく向かったのがマクドナルド。スーダンにはマクドナルドなど、欧米のファーストフード店は皆無であったので、何故かハンバーガーが食べたくなった。そこでまず驚いた。
ポーランド語など全く話せない我々は、マクドナルドで写真を見てオーダーぐらいは出来るだろうと思っていたが甘かった。なんとワン、ツー、スリーが全く通じない!! ちなみにポーランド語ではイエデン、ドゥヴァ、チシッ。この国では英語がほとんど通じないということを痛感した。
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 まずは世界遺産のワルシャワ旧市街へ。
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 ポーランドの主要都市には必ずこのような旧市街がある。ではなぜこのワルシャワ旧市街が世界遺産なのか?
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 それは第二次世界大戦中、ドイツ軍によって完全に破壊され、その後に破壊前の姿に忠実に再建されたからであって、今の旧市街は所謂究極のコピーなのである。
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 地方都市の旧市街は住民の生活の一部として機能しているのだが、このワルシャワ旧市街はその歴史が物語るとおり、全く生活の匂いがせず、観光地としてのみ機能している。
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 一見の価値はあるのだが、普段にあまり行くことはなかった。
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 これは2006年当時のワルシャワの中心部。御覧のとおり、あまり美しいと言える街並みではない。
ただ、この国は非常に美しい四季の姿を持つ。確かに日本の四季の風景は美しい。芸術的と言って良いほど繊細な美しさだ。これと比べて、ポーランドの四季の美しさはダイナミックな美しさだ。
四季折々の美しい姿をこれから順次紹介していく。
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 自分の職場(日本大使館)の目と鼻の先にワジェンキ公園という大きな公園がある。
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 自分はこの公園が大好きで、昼休みにカメラ片手によく散歩に出かけた。
warsaw018.jpg この なにげにリスが出てくるような公園だ。
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 この公園の奥にショパン像が置かれた広場がある。自分はクラシックとは全く無縁の男であるがこの場所が大好きで、四季の風景を撮り続けた。これは春の風景。緑がグングンと伸びてくる。
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 夏には一面にバラが咲き、
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 ショパン像の下で屋外ピアノコンサート(無料)が行われる。
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 ワルシャワの秋は「黄金の秋」と言われる。非常に美しい風景だ。ショパン像のバックも見事に色づく。
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 冬は白黒、モノトーンの世界となる。これがまた美しい。街の汚い部分を雪がすべて覆い隠してくれる。

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第14回 黄色の世界(ポーランド):菜の花畑

 日本がゴールデンウイークの頃、ポーランドでもイースター(復活祭)の休みがあり、本格的な春の訪れと共に季節は一気に初夏へ向かっていく。5月のワルシャワで非常に気にいった風景があった。不思議なことに、ワルシャワの住人にはあまり知られていない場所だった。
 ワルシャワで有名な住宅地の一つであるヴィラノフ地区。その郊外に、ワルシャワでは恐らく唯一のゴルフ練習場、いわゆる"打ちっ放し"がある。
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 ネットなど無く、本当にオープンエアの打ちっ放しなのである。確か2004年頃に出来たものと記憶しているが、その当時、ゴルフはまだまだ外国人の娯楽で、日本人や韓国人がその大半の打席を占めていた。
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 そのすぐそばに、5月のこの時期だけ様相を変える畑があった。林の中を走る道路の脇にその景色はあり、木々で隠れているので、見ようと思わなければ通り過ぎてしまう。
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 ただ、一歩その世界に踏み込むと、辺り一面が真っ黄色の世界になる、菜の花畑だ。
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 晴れた日は特に美しい。
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 ポーランドでは何気ないこういった自然の景色が何ともすばらしい。四季折々に色んな風景を楽しませてくれる。
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 これからどんどん日が長くなり、太陽の季節がやってくる。
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 素人写真ではこの黄色のダイナミックさがなかなか伝わりにくいのだが、しばしご覧あれ。
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第15回 カヤックで森林浴(ポーランド):Krutyn

 徐々に日が長くなり太陽の光がまぶしくなってくる。5月のポーランドは一気に陽気な季節となる。太陽を待ちこがれていた人達は、裸で日光浴を楽しむ。
 ポーランドでは良い思い出をたくさん作ってきたが、その中でもお気に入りの一つが初夏のカヤックだ。自分はアウトドアに詳しいわけではなく、ポーランド人の友人から是非行ってみろと勧められたのだ。
 ワルシャワから北へ200kmほど行ったところにマズーリという湖水地方がある。ポーランドでは有名な夏の保養地で、その中の小さな村が今回紹介するクルティン(Krutyn)だ。ワルシャワからは車で3時間程度だったと思う。よく地図を見ていないと通り過ぎてしまうくらいの小さな村だ。
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 その村には森の中を流れる浅い川があり、そこをカヤックで下っていくのだ。浅く流れも穏やかなのだが、水は澄んでいて底がはっきりと見える。万が一転覆しても安全な深さで、カヤック初心者でも子供でも十分に楽しめる。
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 村には民宿が何軒もあり、そこでカヤック一式をレンタルでき、もちろん日帰りで楽しむことが出来る。午前中に出発し、半日カヤックを楽しんだ後、宿の主人に電話をかけると車で下流に迎えに来てくれるという仕組みになっている。
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 では、二人乗りカヤックでスタート。
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 前半は森の中を進む。灌木をよけながら、自分のペースでのんびりと進む。マイナスイオン満タンだ。
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 鳥のさえずりや牛の鳴き声だけが聞こえてくる。
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 緑の匂いがぷんぷんして、心も体も癒される。
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 かもの親子に出会うこともあるし、
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 時には野生の鹿が出てくることもある。
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 これはポーランドらしい風景で、真ん中の柱の上の籠はコウノトリの巣だ。ちなみにポーランド語でコウノトリのことを「ぼっちゃん」という。日本人にはなじみやすい名前だ。
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 後半は湿地帯の中を進んでいく。これも何とものどかな風景だ。
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 そろそろ終わりが見えてきた。3番目の橋のたもとが目印だ。
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 ワルシャワから日帰りで楽しめるリラックスタイム。ポーランドの自然は本当に素晴らしい。

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第18回 夏のワルシャワ(ポーランド):バラとショパン

 前回から少し間が開いてしまった。
舞台を一旦ポーランドに戻して、ワルシャワの夏の風景を紹介したい。
東ヨーロッパといえども夏は結構暑い。エアコンが入っていないところも多いので、過ごしにくい時期ではある。ただし湿度は低いので、木陰にはいると非常に気持ちがよい。
 この時期は日が長く、午後9時近くまで日本の夕方のように明るい。平日午後5時に仕事を終えた人が、それからマウンテンバイクを持って余暇を楽しみに行くなんてことも十分に可能なのだ。
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 ワルシャワの四季を追いかけて、写真を撮り続けたワジェンキ公園。夏はいっそう緑が濃くなる。
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 日本大使館近くの入り口から入って一番奥に、ショパン像のある広場がある。この時期は見事に赤いバラが咲き乱れる。よく手入れされていてこれは素晴らしい。
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 ワルシャワ市民の憩いの場となる。こういったところに経済とは違った文化の豊かさを感じる。
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 夏の時期、週末にここで屋外ピアノコンサートが開かれる。もちろん無料で聞くことが出来る。
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 バラに囲まれながら、ショパン像の下で奏でる演奏は、クラシック音痴の私でも何か感じるものがあった。屋外の自由な雰囲気のコンサートではあるが、聴衆のマナーも大したものであった。携帯電話がなるなんて事はなかったし、ごそごそ動き回るような人も少ない。皆、音楽の楽しみ方を解っているという感じであった。ここで演奏できることは演奏される方々にとっても名誉なことなんだと思う。毎年、この演奏者の中に日本人の方が選ばれていることを名誉に思う。
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 次は自分が4年間住んでいた、ワルシャワの南にあるコンスタンチンという郊外の街を紹介する。ワルシャワの中心部から車で30分程なのだが、緑が多く、どことなく空気がキレイな感じのする地域で、以前は保養所やサナトリウムとして有名な場所だったそうだ。子供達の学校がこの地域にあったのでこの場所を選んだのだが、今から思い返しても本当に良いところだった。
 当時はまだマウイ・フィアット(小さなフィアット)と呼ばれる、共産主義時代の車もよく走っていた。どことなくルパン三世の車に似ている。
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 犬の散歩がてらに家の近くを散策すると、すぐにこのような風景に出会う。
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 池にはカモや水鳥が泳いでいる。冬には白鳥がたくさん飛んでくる。
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 公園の中に細かい霧のようなものが舞う奇妙な建物がある。入場料を払って中にはいると。
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 お寺や神社の線香の煙ではない。ミスト状の水が噴き出しており、それがあたりを覆っている。
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 周囲には乾燥させた薬草?のようなものが積まれ、その中を地下水が濾過されるようにしたたり落ちており、それを霧状に噴霧しているのだと思う。マイナスイオン満開で、何か健康になったような気分になれる。
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 この地がサナトリウムとしても有名なことからも、こういったことが健康によい、特に呼吸器の病気に良いと考えられていたのだと思う。

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第26回 すてきな小国3(リトアニア):キャンドルハウスとコウノトリ

 リトアニアで、その魅力にどっぷりはまってしまいコレクターになってしまったものがある。陶製のキャンドルハウスだ。中にろうそくを入れて部屋の明かりを消すと、何とも柔らかい光が窓から外に伸びてくる。
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 男の買う物かと笑われそうだが、リトアニアに行く度に買い集め、かれこれ150個ぐらいは買ったかも知れない。クリニックにはその一部を飾っている。
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 このキャンドルハウス、リトアニアに行けば簡単に買えるかというとそうでもない。まずリトアニアの人達が、このキャンドルハウスについてほとんど知らない。元々が輸出用に造られているので、国内では数少ない露店で観光客向けに売られているだけなのだ。逆に日本では「リトアニア キャンドルハウス」と検索してみると、ネット通信販売が結構行われている。
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 こういった、素朴な田舎の民家をモチーフにしたり、
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 ドイツなど西欧諸国の市庁舎や教会などを模った物が多い。
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 なかには、キノコの家などメルヘンチックなものもあるし、
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 前回に紹介した聖アンナ教会を忠実に再現した物まである。
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 街の露店でこんな感じで売られている。
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 この露店は、自分が知る限りヴィリニュスで唯一、聖アンナ教会のキャンドルハウスを売っている露店だ。
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 露店の常連になり、おばちゃんに頼んで自宅兼倉庫に連れて行ってもらった。おばちゃんにしてみれば、数ヶ月に一度現れて、キャンドルハウスをあれこれ買い込んでいく「謎の東洋人バイヤー」とでも思っていたのだろう。片言のポーランド語のみでよくやったものだと自分でも感心する。
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 このキャンドルハウスは全部が手作りで、2つとして同じ物はない。同じデザインでもみな少し異なっているのだ。趣味が興じて、家族でリトアニアに休暇で行った際に、このキャンドルハウスの工房まで足を伸ばすことにした。
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 本当に一つ一つ手作りで、粘土で型を作って、
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 窓や模様をくり抜いていく。
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 形が出来たら、色を付けていく。何とも細かい作業で、リトアニアらしい繊細さを感じた。
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 棚には出来上がった大小様々な作品が置かれていた。写真を送ればどんな建物でもそれをキャンドルハウスにしてくれるという。
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 車での帰り道、日本では見られない珍しい光景をみた。リトアニアとポーランドの国境付近、車が行き交う道路沿いの電柱の上に、なにやら鳥の巣のようなものが。
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 なんとこれはコウノトリの巣。
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 ポーランドでもコウノトリは赤ちゃんを連れてくる幸せの鳥として大切にされている。自然の巣もあれば、人工的に作ったような巣もある。ちなみにポーランドではコウノトリのことを「ボッチャン」という。日本人にはなじみやすい名前だ。
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 これは6月の風景で、ちょうど子育てをしている季節だった。

次回はポーランドの「黄金の秋」。

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第27回 黄金の秋1(ポーランド):秋のワルシャワ

 ポーランドの秋は「黄金の秋」と呼ばれ、一年で一番美しい季節だ。日本の紅葉とは異なり、「黄葉」とでもいうのであろうか、木々が黄色に色づき、晴れた日には金色にかがやく。
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 これはワルシャワのヴィラノフという地域にあるお気に入りの木。何故かこの木には惹かれるモノがあった。
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 天気が悪いとかがやかないので、晴れた日にはカメラを持って出かけていった。
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 大好きなワジェンキ公園も色づいてきた。冬にはこの池も真っ白に凍ってしまうのだ。
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 これから長い冬、モノトーンの世界になる、その前にひとときの艶やかさ。
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 水上宮殿もどこか落ち着いた雰囲気になる。
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 この時期の公園は落ち葉でフカフカの絨毯になる。
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 自分は文学とは無縁な人間だが、こんなベンチに腰を下ろしたら、詩でも思いつくのだろうか。
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 まるで黄葉のアーケード。
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 リスもそろそろ冬支度。

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第28回 黄金の秋2(ポーランド):秋のショパン像

 ワルシャワのワジェンキ公園にあるショパン像。夏はバラで華やかに、冬はモノトーンの荘厳な雰囲気になり、四季折々の姿を見せてくれる。黄金の秋には、ワルシャワでは珍しく紅葉を見せてくれるのだ。
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 ワルシャワの住人といえどもなかなかこの景色にはお目にかかれない。秋のほんのひと時だけ見られるすばらしい景色だ。
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 紅と黄色をバックにショパン像が艶やかに浮かび上がる。
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 自宅のコンパウンド(塀で囲まれた住宅の集合体で入り口にはセキュリティーの門がある)にも秋が来た。
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 これから白黒の世界になる前に、きれいに街を色づけてくれる。
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 自宅近くの池なのだが、この時期はなんか絵になる。
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 ワルシャワの街路も季節感がある。春はポプラの綿毛でいっぱいになり、秋は枯れ葉の山となる。
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 夏場に賑わった屋外のカフェも、半年間のお休み。だんだん日暮れが早くなる。
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 もうすぐハロウィーン。

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第29回 黄金の秋3(ポーランド):秋のグダインスク

 ポーランドとは"平らな土地"という意味だそうで、確かにワルシャワには坂があまりない、山は南の端のスロバキアとの国境にしか無いのだ。ワルシャワはポーランドの真ん中にあり、山も海も無い内陸の都市なのだが、ポーランドの北にはバルト海という海がある。
 今回紹介するグダインスクはポーランドの北の端、バルト海に面した港町である。かつてはドイツ騎士団に占領され、ハンザ同盟の都市として栄えたドイツ色の濃い街だ。二度の世界大戦でもナチスの影響を強く受け、数奇な歴史を歩んだ街だ。今でもドイツ語がよく通じる。
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 何とも歴史を感じる港町だ。
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 どことなくドイツの重厚な街並みを感じる。
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 ポーランドを民主化に導く「連帯」の指導による労働者のストライキが行われたのが、この飛び出た建物の造船所だ。こうした運動が1989年のポーランド民主化につながった。
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 旧市街の街並みも、整然としていて美しい。
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 秋の少し寂しい雰囲気の旧市街もいい感じだと思う。
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 何かドイツの旧市街のようだ。
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 この街の特産品はバルト海でとれる琥珀。琥珀をあしらったアクセサリーやガラス製品がなかなかいけてるのだ。
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 秋には、こういった一筋奥に入った、寂れた雰囲気がよく似合う。
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 グダインスクの隣にソポトという海岸の街がある。夏は海水浴客で賑わうのだが、如何せんバルト海は冷たい海、真夏でも冷たくて泳げない。皆海岸で日光浴を楽しむ。
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 少し暗い雰囲気のバルト海。どこか冬の日本海に通ずる物がある。冬ともなると津軽海峡冬景色が似合う感じだ。

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第31回 クリスマス市2(ポーランド):ヨーロッパのクリスマス

 今回はポーランドの古都クラコフのクリスマス市を紹介する。クラコフはポーランドが王国であった頃の首都で、日本の京都のような存在だ。ワルシャワが世界大戦で廃墟になったのとは対照的に、中世の建造物や街並みがそのまま残っている。特にヤギェウォ大学は14世紀に創立された大学でヨーロッパでも古い伝統を持つ大学の一つだ。またこの街は前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世が大司教をされていたことでも有名である。
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 ヨーロッパでも最大級の旧市街広場、中世の雰囲気が漂う。
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 いつも多くの観光客で賑わっている。
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 この時期、この旧市街広場ににクリスマス市が出る。
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 旧市街広場は有名な観光地であると共に、地元の人々の重要な生活の場でもあり、このクリスマス市はポーランドらしく地味ではあるが活気がある。
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 寒い中、皆クリスマス用品を買い込んで帰って行く。暖かいスープなど食べ物の屋台も出ていて、寒空の下で湯気に包まれながら飲むスープはまた格別に美味しい。
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 人工的なツリーが当たり前の我々にとって、本物のクリスマスツリーは何かひと味違う。
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 クリスマスツリーの"木"はこんな風に売られている。"生"のクリスマスツリーが売られているのを見たのはここが初めてだった。
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 買ったツリーはこんな風に持って帰るのだ。
 もうすぐクリスマス。

 追記:ワルシャワもクラコフも内陸の街、また元々あまり魚を食べる習慣はないのだが、クリスマスだけはちょっと違う。スーパーには大型の水槽が置かれ、なんと生きた鯉が売られる。神聖なクリスマスには肉を食べないので、この鯉料理を食べるのだ。なんで鯉なのかは知らない。代表的なクリスマス料理である"鯉の煮こごり"を何度か食べる機会があったが、ちょいと泥臭くて苦手だった。

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第33回 氷点下30度の世界(ポーランド):スロバキアとの国境

 ポーランドというと寒い国というイメージがあるかも知れない。確かに冬は氷点下が珍しくない。でも今の大阪の冬と比べると、何故かワルシャワにいたときの方が寒さをあまり感じなかった。まず、寒い国は何処に行っても暖かい。家の中では結構薄着で過ごせる。また、寒さの質が少し違う。湿度が低いので体感温度はその数字ほど寒くはない。
 ちなみに、風のあまり吹かないワルシャワでは、0度はあまり寒く感じない。マイナス6度ぐらいで寒いと感じ出す。日本の寒さとは少し違う。でもマイナス15度を下回りだすと、これは凄い寒さとなる。鼻毛が凍る寒さだ。鼻から息を吸うと、パリパリと鼻毛が凍りつくのがわかる。
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 ポーランドは平らな国で、内陸部には山がない。しかし、南の端のチャコやスロバキアの国境に山々がある。中でもスロバキアとの国境にあるタトラ山脈は美しく、ポーランドでスキーが出来る数少ない観光地のザコパネがある。そこから南に少し行くとスロバキアとの国境の街がある。
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 この街にはニェジィツァ城(Niedzica Zamek)という古びたお城がある。湖に面した静かな城だ。
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 この日は氷点下30度、ダイアモンドダストが舞うような世界だ。確かに寒い、もちろん寒い。でも日本のような北風が吹かず、しーんとした静寂の世界。凛とした寒さに極限の美しさを感じる。
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 何気ない川縁の風景だが、晴れた日には凍った木々が本当に綺麗だ。
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 何の変哲もない風景だが、静かで、絵のような風景だ。
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 これが国境、このゲートを超えるとスロバキア、歩いて通過することが出来るが、もちろんパスポートが必要。ゲートの向こうには酒屋が何軒も並んでいる。
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 スロバキアの方が物価が安く、酒が安いので、ポーランドの人はパスポートを持って買い物に行く。買う酒はもちろんウオッカ。ヨーロッパでは結構こんな感覚がある。以前にベルギーを車で旅行していたとき、途中でガソリンが安いからと隣国ルクセンブルグにわざわざ給油をしに行った思い出がある。

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第34回 モノトーンの世界(ポーランド):冬のワジェンキ公園

 他の東欧諸国も同様だろうが、ポーランドは四季の移り変わりが美しい。寒いからと嫌われがちな冬だが、この冬のモノトーンの世界も非常にすばらしい。職場すぐそばのワジェンキ公園、冬にここを訪れる日本人は少ない、でも自分は冬のこの公園がお気に入りだった。晴れた日の昼休みには完全防寒態勢でカメラを持っていそいそ出かけていった。
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 冬のショパン像、第18回(夏)と第28回(秋)と是非見比べて欲しい、これがワルシャワの四季そのものだ。
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 人気の無い白黒のショパン像は何とも荘厳で美しい。
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 水上宮殿の池も真っ白に凍る。
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 何気ない光景だが、ここもヨーロッパであることを感じる。
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 水路もカチカチに凍る。靴跡がついているので、きっと人が歩けるぐらい凍っているのだろう。
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 氷の割れ目にはカモが集まる。ちなみにポーランドの代表的な料理が鴨のフライ。
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 足が凍り付かないのか心配なのだが。。。
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 この冬のワジェンキ公園、散歩する人が結構いる、老夫婦の姿が妙にマッチする。
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 リスは冬も元気に飛び跳ねている。
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 冬の街並み、ワルシャワはあまり雪は降らないが、気温が低いので降った雪が溶けずに溜まっていく。雪は街の汚れた部分をすべて隠してくれる。

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第35回 氷の湖と狼の巣(ポーランド):ミコワイキ

 ポーランドの北東部にはマズーリ地方という美しい湖水地帯がある。夏にはたくさんの人が訪れるいわばリゾート地、湖や川でヨットやカヌーを楽しむ。
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 その中心都市のミコワイキ、夏には賑やかなこの街も冬はひっそりと静まる。
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 この時期にミコワイキに行くというとポーランド人は皆頭をかしげる。冬にここを訪れるポーランド人はあまりいない。では何を目的に行ったのか?理由は簡単、凍った湖を見てみたかったから。
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 湖はすべて真っ白に凍っていた。緑と青の夏とは対照的にモノトーンの世界になる。温水プールやサウナを備えたホテルは、意外にもロシア人やドイツ人の観光客で賑わっていた。物価が安いのでお手頃な冬の観光地なのだろう。
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 氷の上に人が立っている。冬の間、人々はワカサギ釣りや氷上のスポーツを楽しむようだ。
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 氷上ヨットとでも呼ぶのだろうか。
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 こういったすごいマシンまである。
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 このあたりは歴史的にドイツの影響が強い地域、レストランのメニューもポーランド語、ロシア語、ドイツ語で書かれていて、英語はない。この近くに「ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)」と呼ばれる、ナチスドイツ、ヒトラーが造った大本営、秘密基地の残骸がある。ちなみに「狼」とはヒトラーのこと。
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 第二次大戦中、ヒトラーお気に入りの大本営だったようだ。トム・クルーズ主演の映画にもなった、ヒトラーの暗殺計画(ワルキューレ作戦)の舞台になった場所だ。
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 森の中にひっそりとその大本営は潜んでいた。
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 ドイツの敗戦が決定的となって、ほとんどの施設が証拠隠滅のために破壊された。今残っているのはコンクリートの残骸ばかり。
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 こんな場所を真冬に訪れる奴はほとんどいないのだろうが、ちゃんとガイドの人がいた。
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 電線や電話線がリアルに残っていて、そこが当時の最先端技術を駆使した秘密基地であったことがうかがえる。
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 冬の寂しさとこの残骸が妙にマッチしていた。

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第96回 冬のワルシャワ(ポーランド):渡り鳥の休息地

東ヨーロッパ、ポーランドの冬の何気ない原風景をもう一つ紹介する。
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自分たちが住んでいた、ワルシャワ郊外のコンスタンチン地区。我が家のあるコンパウンドのすぐ裏は、川の土手になっていた。
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ここは休日のちょっとした散歩道だった。冬のポーランドの日没は早く、午後3時を過ぎると薄暗くなってくる。
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10分足らず歩くと水門があり、その貯水池が白鳥の飛来地になっているのだ。
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沢山の鴨に混じって、白鳥たちが集まって来ている。
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このあたりでは何気ない冬の風景なのだが、自分の家のすぐそばに白鳥の飛来地があるというのは、凄いことなんだと思う。
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それにしてももの凄い数の鴨たち。ちなみにポーランドの代表料理の一つが、鴨の丸焼きのリンゴソース添え。
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凍りつくような景色と白鳥はなぜかよくマッチする。
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日も暮れてきた。
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コンスタンチンの森も本格的な冬景色。
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このモノトーンの静かな景色が凄く懐かしい。

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第97回 ユダヤの街、カジミェシュ(ポーランド):シンドラーのリスト

ポーランドで4年間生活して、何度も訪れたアウシュビッツ強制収容所。日本人にとっては、なかなか訪れる機会の少ない場所なので、是非とも伝えたいと思うのだが、書きたくても、どう書いていいのかわからず、なかなか書くことが出来なかった。ポーランドのレポートもそろそろ最後になるので、これから3回シリーズで自分なりにこの地で何が行われていたのかを書いてみたい。
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ポーランドの古都クラクフ。首都のワルシャワが東京なら、クラクフはまさに京都。17世紀にワルシャワに遷都されるまで、ポーランド王国の都があった街だ。
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クラクフ旧市街は、観光の拠点であると共に、市民の生活の場でもある。生活の匂いのする、活気ある旧市街だ。
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高さの違う二つの塔を持つ聖マリア教会。13世紀にここを襲撃したモンゴル軍との逸話が残っている。モンゴル帝国はこんなところまで来ていたんだと、その巨大さにつくづく感心する。
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観光用の馬車で旧市街を巡ることが出来る。
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冬のバベル城。冬のクラクフは何ともしんみりと寂しいのだが、自分はこの静寂感が結構好きだった。
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民族衣装で音楽を演奏する人達。

この観光で華やかなクラクフの近郊に、映画「シンドラーのリスト」で有名になった、シンドラーさんが経営していた
工場跡が今も残っている。

この街とユダヤ人の歴史は古い。中世、ヨーロッパ中でユダヤ人が迫害されていた頃、ポーランドではユダヤ人の権利が保護されていたため、迫害をのがれて、ユダヤ人達はポーランド王国へ集まって来た。
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クラクフ近郊にあるカジミェシュ地区。中世の頃からユダヤ人が多く住んでいた場所だ。
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街には、何かもの悲しさを感じる壁がいたるところにある。元々ユダヤ人の居住区であったカジミェシュは、ナチス・ドイツ占領下で、「クラクフ・ゲットー」となり、壁で外部と遮断され、ユダヤ人の隔離地域となった。
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ユダヤ教の教会、シナゴーグ。
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壁にはヘブライ語のポスターが貼られている。
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ユダヤ音楽を聴きながら、ユダヤ料理を楽しむレストラン。今ではユダヤ文化を楽しむ街となっている。
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今は何の変哲もない駐車場なのだが、
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「シンドラーのリスト」のワンシーンでもある、アウシュビッツ強制収容所行きかどうかを判定される場所だった。写真は当時のもの。

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第98回 アウシュビッツ強制収容所1(ポーランド):ホロコーストという負の世界遺産

ポーランドの古都クラクフから約60km離れたオシフィエンチム市(ドイツ語名:アウシュビッツ)に、悪名高きアウシュビッツ強制収容所がある。クラクフから車で1時間ほどの距離だ。恥ずかしい話であるが、自分はポーランドに赴任するまで、アウシュビッツがポーランドにあるとは知らず、ドイツ国内にあるものだと思っていた。
この強制収容所は今は「アウシュビッツ・ミュージアム(博物館)」となり、当時の記録や資料が多く展示してある。
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これが有名な収容所の入口だ。中には、重厚なレンガ造りの建物が並んでいる。冬に訪れる収容所は、特に重たい空気を感じる。

この「アウシュビッツ・ミュージアム」には二つの顔がある。一つはホロコースト(ナチス・ドイツが組織的に行った、ユダヤ人などに対する大量殺りく)の悲慘さを後世に伝える博物館としての顔、もう一つの顔は犠牲になった方々の「お墓」だ。こういった意味から、入場には二つの方法がある。ガイド(ポーランド語、英、仏、独、西、日)を頼んで説明を受けながら見て回る場合には、ガイド料と入場料が発生する。ガイドを頼まずに入場する場合は無料なのだ。「お墓参り」に入場料は不要という考えだ。
自分はこのミュージアムに5回ほど訪れた。ポーランドに訪ねて来た友人達は皆一様に、行くべきかどうか迷っていた。興味本位で訪れる場所ではないが、見ておかなくてはならない場所だからだ。

最初に訪れたときはガイド無しで見て回った。2回目に訪れた際にガイドを頼んで説明を聞いていると、前回の訪問時に自分なりに解釈していたことが、あまりに間違っていたことに愕然とした。
「アウシュビッツ・ミュージアム」には外国人で唯一、公式ガイドの資格を持った日本人の中谷剛が働いておられる。我々はありがたいことに、日本語でガイドしてもらうことができるのだ。この地を訪れる方は是非とも中谷さんにガイドをお願いするべきだ。
アウシュビッツに子供を連れて行っても良いかという質問をよく受けた。残酷な映像に子供がショックを受けるのではないかと心配するからだ。中谷さんは、次代を担う若者に是非とも見て欲しいと言われていた。小学校高学年ぐらいの子供達からは是非とも見せるべきではないかと自分は思う。
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入口には"ARBEIT MACHT FREI"、ドイツ語で「働けば自由になれる」と記されている。"B"の文字が上下逆さまのように見えるが、これは、これを造らされた囚人達の抵抗の証だとする見解がある。
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この図は、ヨーロッパ全土からこのアウシュビッツの地へユダヤ人達が運ばれてきたことを表している。
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このアウシュビッツ強制収容所は、ナチス占領下で、当初はポーランド人政治犯の収容所として建てられたが、徐々にその目的が変わっていき、ユダヤ人の大量虐殺施設へと変貌していく。
写真は収容所に送られてきた人々の様子。女性や子供も多く含まれていた。労働力にならない、女性や子供、老人達はすぐにガス室に送られたそうだ。
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収容所に到着した人々を歓迎して開かれる演奏会の様子。演奏していたのは囚人達で、恐ろしいデモンストレーションだ。
この地に送られてくる人たちは、新しい生活の場を求めてやってきたわけで、殺されるとは思っていなかった。
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収容所の周囲には鉄条網が張り巡らされている。
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冬の収容所内はモノトーンの世界でもの悲しい。
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夏は緑が生い茂る。
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見張り台と所々にあるどくろマークが恐ろしい。
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収容者達が着せられていた、縦縞の囚人服
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この地で犠牲になった方々の写真と名前が整然と並んでいる。
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所々の写真に、花が飾られていた。恐らく子孫の方々が手向けられたのだろう。ここが「お墓」である意味がわかった。
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収容所内の様子だ。ここで雑魚寝状態で寝かされていたのだろう。
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次第に収容者の人数が増え、手狭になって来たのであろう、生活環境はどんどん悪化していく。レンガ造りの3段ベッドにわらが敷かれているだけだ。
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洗面場
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トイレの様子
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収容者とは対照的な看守部屋の様子。
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栄養失調でやせ細った子供達の姿。
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この花が手向けられた壁は「死の壁」と呼ばれる、銃殺が行われていた壁だ。
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死の壁の周囲の建物の窓には目隠しがされており、その音だけが聞こえ、収容者達により恐怖心を与えたそうだ。
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収容者達がどんどん増え、大量に"処理"をする必要に迫られたのであろう。これが「シャワー室」と呼ばれたガス室だ。
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シャワーと偽って、裸でこの部屋に詰め込まれ、チクロンBという毒薬で大量殺りくが行われた。
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部屋を見学していて,息が詰まりそうになる。
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ガス室のすぐ横にある、遺体の焼却炉。機械的に遺体はここに運ばれて焼却されていった。すべてがシステマティックに進められているところが、何とも恐ろしい。
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焼却炉にはろうそくと花が供えられていた。
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収容者達が持ち込んできた荷物を種分けして保管してある。ドイツ人気質がこういった面にも出ているのか。
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これらは皆、靴だ。
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くしやブラシ類
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これはメガネだ。
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これらは鍋だ。殺されるとわかっていたらこのような物は持ち込まなかっただろう。収容者達は新たな生活の場に移るという感覚で生活道具一式を持って、ここに運ばれてきたことがわかる。
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義足や松葉杖など
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カバンの山だ。名前や住所が書かれてある。もちろん、もう一度手元に戻ると思っていただからであろう。
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女性の髪の毛までもが集められている。
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これは、収容者の髪の毛で織られた毛布だ。人はここまで冷酷になれるのであろうか。

中谷さんが言われていた。収容所のすぐそばには看守達の家が有り、そこには家族との普通の生活があった。普通の人間的な生活の場とホロコーストの現場が隣り合わせに存在し、彼らは優しい夫であり、父であり、残忍な看守にもなれた。それは自分達とて、そうなる可能性のあることで有り、人間の恐ろしさ、戦争の恐ろしさであると。

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第99回 アウシュビッツ強制収容所2(ポーランド):ホロコーストという負の世界遺産

前回で紹介したアウシュビッツ博物館の様子を見て、映画などで見るアウシュビッツのイメージとずいぶん違うな、と思われた方も多いのではないだろうか。
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実はオシフィエンチム(アウシュビッツ)の郊外に第2アウシュビッツと呼ばれる、もう一つの収容所、ビルケナウ強制収容所があるのだ。写真右下角にある「AUSCHWITZ I」と書かれた施設が、前回紹介した元々のアウシュビッツ強制収容所で、元はポーランド人政治犯やソ連兵捕虜が収容目的であったので、施設もあまり大きくはない。その後、アウシュビッツの目的がユダヤ人の大量虐殺となり、ユダヤ人を大量に収容し、「処分」する施設が必要となって、近辺の広大な敷地に粗末な収容施設が急造された。写真左の破線で囲まれた施設「AUSCHWITZ II」はそのビルケナウ強制収容所(第2アウシュビッツ強制収容所)だ。
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貨車に詰め込まれたユダヤ人達が、列車ごと施設の中に運ばれていく。映画でよく目にするワンシーンだ。
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アウシュビッツでは学生らしき集団をよく目にする。イスラエルから来た学生達だ。彼らは修学旅行のようにこの地を訪れ、先祖達が受けた苦難を学ぶらしい。
一つ興味深い話を聞いた。こういったユダヤ人学生のグループには必ず、セキュリティー(警護員)が同行しているといのだ。我々からは理解できない感覚だが、今もなお、そういった恐怖感や危機意識を持っていると言うことなのだろうか。イスラエルという国が、セキュリティーの非常に発達した国である意味が少しわかった様な気がした。
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大半の収容施設は壊されて今は残っていない。
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収容施設であったバラックが一部に残っている。前回紹介したレンガ造りのアウシュビッツとは比べものにならない、粗末な建物だ。この施設でむかえる冬のビルケナウは、想像を絶する寒さであっただろう。
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もちろん、収容所の周囲は鉄条網で囲まれている。
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ビルケナウが、いかに広大な敷地であるかということがわかるだろうか。
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ドイツ軍が敗北し、証拠隠滅のためにガス室は爆破され、今は残骸だけが残っている。
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運命を分けた、二手に分かれた線路。
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労働力になる者は収容され、子供や老人、病人など労働力にならない者達は、そのままガス室送りとなった。
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これがトイレだ。
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映画「シンドラーのリスト」で、子供がこの中に隠れていた様子は印象的だ。
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収容者達は粗末な三段ベッドに詰め込まれていた。
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当時の様子だ。

もう一つ興味深い話を聞いた。このアウシュビッツ博物館やビルケナウ強制収容所の施設維持管理に、ドイツ政府が今もなお費用を負担しているというのだ。自らの戦争責任を明白にし、今もなおその賠償を続けている。この辺は日本の韓国や中国に対する対応と少し異なるような気がする。
なかなか書けなかった題材を敢えて書かしていただいた。こういった感想や評価は人によって異なるのであろう、しかし、人類史上で最も残酷な行為が、組織的に理路整然と行われていた場所であったことには違いない。人間にはこういったことが出来る恐ろしさがあることを、我々は認識しなくてはならない。

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