大阪 城東区の内科、循環器内科クリニック。循環器疾患、生活習慣病の管理、花粉症などアレルギー疾患、禁煙外来対応。
“ドクトル・イトウの地球の果てまで“ 世界60ヶ国以上を訪れた、院長のちょっと変わった見聞録
もう一つ、サンチャゴ近郊の観光ポイント紹介したい。サンチャゴからバスで2時間程度、海辺の街、バルパライソだ。
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どこか、タイムズスクエアに似ているような。。。
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なぜか、トロリーバスが走っている。
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カラフルな家があったりと、どこか小粋でアートな街だ。2003年に世界遺産に登録されている。
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何でもない家がパステルカラーにペイントされている。どこか、ブエノスアイレスのボカ地区、カミニーニ似ている。
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これも小粋??
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この街は、海辺から続く丘にまで家が密集している。丘の上から眺めると、アートな家と近代ビルが混在していて、なんか面白い。
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丘の上から海を見下ろしていると、何やら厳つい船団が。。。
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軍艦だ!あまりこういった光景を見ることはない。バルパライソはチリ海軍の軍港としても有名なのだ。
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バルパライソは丘の街。住人の足として、アセンソールと呼ばれる、ケーブルカーのような乗り物があちこちにある。
どこか、ポルトガルのリスボンに似ている。
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これがアセンソール乗り場の標識。通り過ぎてしまうような、さりげない入り口だ。
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中に入るとこんな感じ。
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切符売り場。
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クラシックな木箱のような乗り物だ。
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中はこんな感じになっている。
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丘の上の乗降口だ。
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丘の頂上から海を見下ろす、白亜のカフェ "Cafe Turri"。
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ここの庭から、海を眺めながらの食事は最高の雰囲気だ。
これでチリ・シリーズは終了としたい。
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帰りに立ち寄った、サンチャゴの街と近郊のワイナリーを紹介する。
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サンチャゴには主に仕事で、かれこれ18回程訪れた。サンチャゴは立派な近代都市だ。南米の都市の中では治安も比較的いい。ただし、正直なところ観光的な魅力は。。。だ。
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奥に見えるのは旧市街のシンボルである大聖堂だ。
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左奥の立派な建物は中央郵便局。
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モネダ宮殿、現在は大統領府として使用されている。サンチャゴ旧市街はこんな感じで、南米他国の旧市街と比べると、やはり見劣りする。
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サンチャゴ市内にも一体、本物のモアイ像がある。イースター島から持ち出されたモノらしいが。本場で見てきた後では。。。
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チリと言えば、やはり"ワイン"。安くて美味しいワインが楽しめる。ワイナリー見学はお勧めの観光コースだ。今回はサンチャゴから車で45分ほどの"Santa Rita" ワイナリーを紹介する。調べてみると、ここSanta Rita のワインは、日本ではサッポロビールが販売している。
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荘園風の建物で、「Casa Real」というホテルを併設している。中庭には花がいっぱいだ。
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実際のブドウ畑はこんな感じ。
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これが、ワイン用のぶどうだ。果物として食べるブドウとは少し違う。
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ツアーでワイナリー内の作業工程を見学できる。これは昔使用していた、ブドウを絞る装置だそうだ。
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現在の近代的な設備。
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ここで樽に詰め替えられる。
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樽の貯蔵庫。
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実際にはこんな感じ。
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ワインボトルが積まれていた。
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このワイナリーにはレストランがあって、ここで料理と共にここのワインが色々楽しめる。そして気に入ったワインを買って帰るという仕組み。料理も美味しく、雰囲気も非常によかった。見どころの少ないサンチャゴで、お勧めの観光スポットだ。
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イースター島の最後は、夕日の美しさで有名なタハイから。
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タハイには3つのアフがあり、向かって右端にあるのがアフ・コテリクのモアイ。島内で唯一、目が入っているモアイで、帽子(プカオ)を載せている。目が入ることで、今まで見てきたモアイとは何か違う感じがする。
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向かって左端がアフ・バイウリで5体のモアイが並んでいる。
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アフ・バイウリの右に一人立っているのが、アフ・タハイのモアイだ。
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これら3つのモアイと海と夕日が、格別なサンセットを見せてくれる。
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バックの船がまたいい感じを醸し出す。
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空がだいぶ赤く染まった。
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日が沈んでしまった。空の色がどんどん変わっていく。
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少し違った角度から。
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夕日がモアイに反射する。
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どこから見ても美しい景色だ。
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少し引いてみる。
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アフ・タハイのモアイから。
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波が結構激しく打ちよせる。
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空が輝いている。
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アフ・コテリクのモアイから。
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二つのモアイを入れて。自分はこの方向からの景色が一番気に入った。
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モアイをバックに日が沈んでいく。
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雲の様子がめまぐるしく変わっていく。
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少し角度を変えて。
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日が沈んだ。サンセットショーの終了だ。
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船の明かりが、なんかしんみりとしていい感じ。
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モアイの上と月と星。
イースター島は本当にモアイしかないような島だ。「モアイだけしかない」と否定的な感想を言う人もいるが、ゆっくり滞在して、島の風景や自然と共にモアイを見て欲しい。自分は滞在中にラノ・ララクに何度も足を運んだ。
日の当たり方によって、朝と夕方の風景が全く違うのだ。日中にさらりと見て終わりではあまりにもったいない。アナケナ・ビーチで海水浴なんてのもいいのかもしれない。馬での散策は特にお勧めだ。チリの食事は概して美味しくないのだが、イースター島の食べものは比較的美味しいので、是非、ゆっくりとした日程で訪れて欲しい。
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サーフィンなどの目的で訪れる場合を除いて、この島では、モアイを見ること以外にすることがない。
オプショナルツアーが充実しているわけはなく、レンタカーやレンタサイクル以外に移動手段がない。
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そこでおすすめなのが、この"乗馬ツアー"だ。
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乗馬体験などという甘い代物ではない、各自が馬に乗って、半日かけて島を巡る。
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馬は躾けられているので、コースを大きく外れることはないが、それでも乗り手の動きに反応するので、かなりスリリング、おまけにこのコースがアップダウンに富んでいる。
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ちょいと一服。おしりが痛くなってきた。
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通常の観光では行くことのない、変わった場所にも連れて行ってくれる。
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これは海辺の崖に連なる洞窟だ。真っ暗な中を恐る恐る這うように進んでいくと、光が見えてきた。
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そこは断崖絶壁だ。
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ツアーも終盤、道路に出てきた。
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そろそろ夕暮れ時が近づいてきた。
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後ろにハンガロアの街が見える。
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最終目的地のタハイに到着だ。ここの夕日は絶品なのだ。
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お次は海辺にある、アフ・ビナプへ移動。
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転がっている赤いプカオ(モアイの帽子)が何かもの悲しい。
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ここのモアイも全て倒されたままだ。
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プカオだけが主から離れて転がっている。
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紺碧の海だ。
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イースター島周辺は波が高い。
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空港ではサーフボードを持ち込む観光客を多く見かけた。モアイ見学ではなくて、サーフィンをする目的でこの島にやって来るようだ。
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波しぶきが豪快だ。
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次はイースター島では珍しい、海水浴のできるビーチ、アナケナ・ビーチだ。
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きれいな白砂のビーチに青い海、人影もまばらで、最高のムードだが、日陰がどこにも無い。ここで遊ぶのには、かなりの日焼け対策が必要だ。
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椰子の木が植えられていて、南国ムード満点だ。
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このビーチのアフにもモアイがいる。
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アフ・ナウナウのモアイだ。7体のモアイが海を背にして立っている。
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そのうちの4体はプカオを載せている。
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少し離れて、ちょっと変わったモアイが立っている。
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ホツ・マツア王のモアイだ。
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最初にこの島へ渡ってきたホツ・マツア王が、このビーチから上陸したと言われている。
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島には牛が放牧されている。
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次はアフ・テピトクラへ
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この倒れているモアイは島内で唯一名前が付いていて、「パロ」と呼ばれる。アフに立っているモアイでは、一番大きなモアイらしい。
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この近くに、テピト・オテヘヌア(地球のへそ)と呼ばれる丸い石が置かれた"パワースポット"がある。この石の上にコンパスを置くと針が回るそうだ。。。またこの石に額をつけて願いごとを念じると叶うらしい。
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充電できるとでも思っているのだろうか?携帯電話を置いている人がいた。娘達は頭が良くなるようにと、石に額を付けていた。
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では、島内の色んなモアイを巡って行きたい。
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まずは「アフ・アカハンガ」。ちなみにアフとはモアイが建つ祭壇のことだ。
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といっても、ここのモアイは建っていない。というか倒されている。
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部族間の争いで起こった「モアイ倒し戦争」で、島内の多くのモアイが倒された。
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モアイの目には霊力が宿ると考えられていたため、皆、うつぶせに倒されている。
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モアイの帽子(プカオ)だけがポツンと残されている、
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何か寂しい光景だ。
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次はアフ・アキビのモアイ達。
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7体のモアイが丘の上の祭壇に整然と並んでいる。
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ほとんどのアフ(祭壇)が海辺にあるのに対して、ここの祭壇はかなり内陸にある。
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トンガリキのモアイとは違って、皆、顔がよく似ている。
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ここのモアイも海の方角を向いている、数少ないモアイだ。
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次はモアイの帽子(プカオ)の製造工場である、プナパウだ。
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このあたりでとれる赤い岩でプカオが造られた、今も主のないプカオだけが散乱している。しかし、モアイ本体の製造工場であるラノ・ララクからは10数キロ離れており、何でこんな離れたところで造ったのかも不思議の一つだ。
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当院ホームページの院長プロフィールに使っている写真。後ろに並んだ15体のモアイがトンガリキのモアイだ。
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アフ・トンガリキの標識のそばには、何か古びたモアイが立っている。どこかで見たような。。。
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「千と千尋の神隠し」の「カオナシ」みたいなモアイが荒涼とした原野にポツンと立っている。
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トンガリキのモアイ。大小15体のモアイが海に背を向けて並んでいる。
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島内には色んなモアイがあるが、海に背を向けて立っているのは、ここトンガリキだけだ。
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ここにも倒れたモアイが一体。
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この15体のモアイには日本の技術が深く関わっている。
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香川県にある「タダノ」というクレーン会社が自腹で、倒れたモアイを起こし、修復するというプロジェクトを1991年に立ち上げた。
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台座の上に整然と並んだモアイたち。このトンガリキのモアイは日本との友好のシンボルだ。
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今ではイースター島で一番のシンボルになっている。
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こんな具合に、手乗りモアイ。
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初日の出の様子を何枚か。
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島の方角から、日の出はトンガリキ、夕日はタハイが美しい。
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海と雲と太陽が織りなす、早朝のスペクタクルショーだ
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日が昇ってきた。
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モアイ達がご来光を拝んでいるようだ。
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ラノ・ララクのモアイの風貌をもう少し。みんな、それぞれに個性がある。
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何か男前なモアイ。
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のっぽなモアイ。
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見る角度によって、雰囲気が変わる。
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この角度からみると、何かを訴えかけているような、悲しい感じがする。
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かなり朽ち果てたモアイ。
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倒れてしまっているものもある。
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何のために造られたのか?
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前倒れのモアイは、何か悲しい。
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朝と夕の陽の当たり方によっても表情を変える。
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同じ顔が二つ。
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影が伸びてきた。
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モアイの後ろ姿は、何か哀愁を感じる。
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海辺に15体のモアイが見えてきた。トンガリキのモアイだ、
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ここのモアイは唯一、海を背中にして立っている。
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荒波の前のモアイもいい感じだ。
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では、これからいろんなモアイ像を紹介していきたい。
まずはモアイの製造工場として知られる、ラノ・ララクから。
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ラノ・ララクの山が見えてきた。この山でモアイが造られ、運び出されていった。
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山肌に近づいていくと、斜面にポツポツと立つ物体が見える。
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ここがラノララクの入口だ。ここから山を登っていく。
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緩斜面に無造作に立つ物体。モアイだ。
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間隔も、向きもばらばらだ。
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倒れているモノもある。
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道しるべのようになっているモアイもある。
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ここのモアイには帽子が乗っていない。帽子は別の場所で造られたからだ。
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山の斜面から見下ろすと、島の地平線が拡がる。何とも荒涼とした景色だ。
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その先には紺碧の海が拡がっている。
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これがモアイの制作現場だ。
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斜面の岩肌を彫ってモアイを製造していく。
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できたモアイは斜面の傾斜を利用して、下に運ばれていくというシステムだ。なるほど。
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モアイはみな少し違った顔をしている。これが何とも癒し系で、ずっと見ていても飽きない。
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見る角度によっても違ってくるし。
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陽の当たり方によっても違ってくる。
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同じモアイでも、朝夕とでは違う顔をしているし、晴れた日と雨の日では全然違う顔をしている。
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顔の長い、典型的なモアイ。
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顔の短いモアイもある。」
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倒れかけ、寸止めのモアイ。
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うなじがかわいいモアイ。
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何とも落ち着いた光景だ、
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あごの張った、男前のモアイ。
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イースター島は周囲約60km、北海道の利尻島とほぼ同じ大きさだそうだ。島には三つの休火山がある。
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今回巡った島内の遺跡を地図で示してみる。島内唯一の村が青丸で示したハンガロアで、宿泊施設やレストランはこの地域にある。ここから島内をレンタカーで巡る。
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まずは島の最南端にあるオロンゴ岬へ。岩には文字のようなものが彫られてあり、眼下に見える島ではかつて鳥人儀式「鳥人レース」が行われていた。ここから岩山を駆け下り、海を泳いで、島に飛来する海鳥の卵を採って帰ってくるという過酷なレースであったらしい。勝った部族の長が1年間島の長となるというものであったらしい。
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反対側にはラノカウ火山の火口湖が拡がっている。
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湖面と海とのコントラストが美しい。
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片手にビデオ、片手にカメラのいつもの姿。
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次は「アナカイタンガタ」という洞窟へ。
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波打ち際にぽっかりと空いた自然の洞窟だ。
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断崖絶壁を階段で下りていく。
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洞窟の入り口だ。
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洞窟から海を見た様子。
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洞窟内には鳥の壁画がある(これが有名らしい)。「アナ・カイ・タンガタ」とは「食人洞窟」という意味らしく、鳥人レースの勝者が敗者を食べる「食人儀式」が行われたといわれる洞窟なのだそうだ。
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何とも荒々しい景色だ。
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この島が絶海の孤島であるということがわかる。
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再び南半球に戻って、今回からは、改めてイースター島をシリーズで紹介していきたい。
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イースター島は南太平洋の孤島。チリ領なのだが、首都のサンチャゴから空路6時間近くかかる遠い島だ。オランダ人がイースター(復活祭)の日に発見したので、この名前が付いたそうだ。ちなみにスペイン語では「Isla de Pascua (イスラ・デ・パスクゥア)」、現地の言葉では「ラパ・ヌイ」と呼ぶ。
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イースター島へのフライトはラン・チリ(LAN)航空がサンチアゴからとタヒチのパペーテから定期便を就航している。
基本的に日本からは、アメリカの主要都市を経由してサンチャゴに入り、乗り継いでイースター島へ向かうのが一般的だ。
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チリという国は、ドイツ系移民が多い影響なのか、ラテンの国の中では異質にきっちりしている国で、このLAN航空も意外と信頼性の高い航空会社だ。海産物も豊富で、ペルーで食べる寿司ネタのウニやサーモンはチリで採れる。また、日本企業が「和牛」も飼育しており、食材は非常に豊富な国なのだが、食事は残念ながら概して不味い。それもドイツの影響なのか?
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サンチャゴ空港のマッサージチェアでちょっと一休み。
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イースター島が見えてきた。
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浜辺が少なく、断崖絶壁の孤島であることがわかるだろうか。
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素朴な空港に無事着陸。
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空港にもモアイのレプリカが建っている。
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のんびりと歩いて入国審査へ進んでいく。
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ターンテーブルの前で荷物を待っている様子。麻薬犬が荷物をチェックする。
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この係官のように、原住民の人はチリ人というよりも、南太平洋のポリネシア人だ。
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空港の壁には独特の絵柄が描かれている。
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今回の宿は、島で唯一の日本人ご夫婦が働かれている、Taha Tai Hotel。
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海辺に面した、居心地のいいのんびりとしたホテルだ。
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庭にはあまり見たことのない、不思議な植物が生えている。
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美味しかった、ちぎって食べれるパイナップル。
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島内に公共交通機関はなく、ツアー会社の車かレンタカーが足となる。今回は自分たちのペースで島を巡りたかったので、このジープをレンタルした。日本車だ。
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街の中心部の様子。ここにもモアイのレプリカが。。
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街のレストランへ食事に。
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チリの食事は不味いと書いたが、ここイースター島の食事は意外といける。マグロなどの魚介類を美味しく調理してくれる。
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これはマグロのタルタル。結構美味しかった。
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ウシュアイアでのメイン・イベント、ビーグル水道クルーズの様子を紹介する。
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ビーグル水道という名前は、「進化論」で有名なダーウィンがビーグル号で世界一周航海をした際の経路であったことに由来している。
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この日は快晴。船の進行方向に、雲が縦に長く伸びて、何とも気持ちのよい空だ。
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マゼラン・ペンギンの営巣地を船の上から観察。
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すごい数のペンギンで、よく見ると雛も混じっている。
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横たわるもの、海に入っていくもの、ボーっと立っているものなど、見ていて飽きない。
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顔とおなかの白黒の帯模様がマゼラン・ペンギンの特徴。
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雛は白黒の模様がまだ無く、図体は大人とあまり変わらないが、何か愛らしい。
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日も暮れてきて、クルーズも終盤。
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何やら、生き物が群れた小島に近づいた。
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アシカの仲間のオタリアとペンギンの様な白黒の鳥が共生している。
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白黒の鳥はペンギンではなく、鵜だ。
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このオタリアたちは親子だろうか?
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有名なエクレルール灯台。夕暮れ時が美しい。
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ウシュアイアの港に帰ってきた。この港は南極クルーズの出航地としても有名だ。
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外国航路の豪華客船も泊まっている。いつかは参加したい南極クルーズ。再びこの港に帰ってくることを夢見て、パタゴニアシリーズを終了する。
ウシュアイアから、空路ブエノスアイレスへ戻り、そこからイグアスへ向かう。次回はイグアス大瀑布。
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エル・カラファテから飛行機でさらに1時間20分南下し、パタゴニアの最終目的地ウシュアイアへ向かう。
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ビーグル水道が見えてきた。飛行機ならもう少しで南極だ。
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世界最南端の都市、ウシュアイアへ到着。街の中心街は特に特徴も無く、素朴な田舎町といった雰囲気。
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ウシュアイアはもちろん観光地として有名なのだが、もう一つの顔があり、国の経済特区となっていて、輸入品が免税で買える街なのだ。やけに電器店やアウトドアグッズの店が目につく。SONYなど日本ブランドの看板もよく見かける。
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この街の名物料理も、やっぱりコルデロ(子羊の丸焼き)。肉とワインは確かに美味しいが、それしか無いところが、日本人にはきつい。この街にはもう一つの名物として、セントージャというタラバガニに似た大きなカニがあるのだが、取り立てて美味いというモノでは無かった。
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ご当地ビールは、ビーグル水道にちなんで、その名も"ビーグル"
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郊外に出ると、まるでカナダのような風景が広がる。これはビーバーが小川をせき止めたダム。その昔、毛皮が取れるとのことで、カナダからビーバーを輸入したそうだ。しかし、ビーバーの毛皮は売り物には成らず、結局、野生化してしまって、このようにあちこちで川をせき止めて困っているのだそうだ。笑い話のような実話。
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ここはシベリアンハスキーの繁殖場。ここで数を増やして輸出するそうだ。
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ここは世界最南端の鉄道の駅で、「世界の果て号」というミニSLが公園内を走っている。
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「世界の果て号」だ。
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列車で公園内を巡り、先住民達の昔の生活の様子を垣間見る。
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先住民族、フエゴ人の記録だ。この寒い土地で、裸で生活をしていたというのには驚きだ。
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20世紀前半、この街は刑務所として発展したそうで、隔離された流刑地であった。
街には縞々の囚人服の絵や人形をよく見かける。今では、囚人服もこの街のみやげ物になっている。
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今日はパイネ国立公園の最終日、車で国立公園内の見所を巡りながら、プエルト・ナタレスへ向かう。
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少し離れて、クエルノス・デル・パイネ(パイネの角)を望む。この山は本当に美しい。
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これがサルトグランデの滝、規模は大きくないが、水量が多く、豪快で迫力がある。
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野生のグアナコの群れ。リャマやアルパカの仲間で、ラクダ科に属する。その毛から作られる毛織物は、ビクーニャと並んで超高級品だ。
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サルトグランデ越しにパイネの山々を望む。真ん中に突き出た3本の岩山がトーレス・デル・パイネ(パイネの塔)だ。
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身体が飛ばされそうになるくらい風が吹き荒れる原野から、クエルノス・デル・パイネ(パイネの角)を見上げる。
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また違った角度から、パイネの山々を望む。岩山なので、見る角度によって、その景色は大きく異なる。
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湖越しの正面に3本の岩山、トーレス・デル・パイネ(パイネの塔)を望む。
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トーレス・デル・パイネ(パイネの塔)に少し近づいて一枚。
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オバケの様な形をした雲を眺めながら、プエルト・ナタレスの街へ戻っていく。
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もう一度、チリからアルゼンチンへ陸路入国し、カラファテの街へ戻る。そこから空路さらに南下し、南の果て、最終目的地のウシュアイアへ向かう。
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プエルト・ナタレスから、日帰りでパイネ国立公園の主要ポイントを回るツアーもあるのだが、パイネでは是非とも国立公園内のホテルに宿泊して、朝焼けと夕暮れ時のパイネの山々を見て欲しい。
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今回宿泊したHosteria Pehoe、ペオエ湖の中に建ち、橋を渡っていく。目の前にパイネの山々が迫る、絶景のホテルだ。
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ホテルのレストランから、湖越し向かって左にパイネグランデ、右にクエルノス・デル・パイネ(パイネの角)のパノラマが広がる。
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朝日に輝くクエルノス・デル・パイネ(パイネの角)
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パイネ国立公園内には初級者から上級者用まで様々なトレッキングコースがある。我々はイタリアキャンプからフランス渓谷展望台までのトレッキングコースを選択した。ボートでペオエ湖を対岸に渡り、トレッキング開始。まずはイタリア・キャンプを目指す。
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パイネの山々を望みながら山道を登っていく。
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イタリア・キャンプに到着。その名の通りここはキャンプ場になっていて、たくさんのテントが張られていた。
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帰路はペオエ湖を望みながら、けもの道を下っていく。
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人工物のほとんど無い、壮大な景色だ。
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湖がエメラルド色に輝く。
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パイネの風は半端なく強い。本当に吹き飛ばされそうになる。その強い風の影響で、天気がめまぐるしく変わる。
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帰りのボートが到着した。
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夕暮れどきのクエルノス・デル・パイネ(パイネの角)。
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ホテルにも灯がともった。
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翌朝、朝焼けのパイネの山々。
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風が強く、雲がものすごい速度で流れ、すぐに山の頂上を隠してしまう。最後に、クエルノス・デル・パイネ(パイネの角)をもう一枚。
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いったんカラファテをあとにして、チリ側にあるパイネ国立公園へバスで4時間半の道のりを移動する。
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これがアルゼンチンとチリの国境だ。
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この民家のような建物がパスポートコントロール。ここで出入国のチェックを受ける。
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木々も何も無い、パタゴニアの大平原を走っていく。
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大地と空と雲だけの世界だ。
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パイネ国立公園の起点の街、プエルト・ナタレスに到着した。
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何も無い小さな街だが、世界中から観光客が集まる。
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湖のほとりの公園でブランコ。子供達もややお疲れ。
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プエルト・ナタレスからパイネ国立公園へ、行きは船で向かうことにした。あいにくの天候だが、虹が出た。
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ペンギン!と喜んだが。。。
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近づいてみると、これは鵜の仲間だった。
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バルマセーダ氷河が見えてきた。
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岩にへばりつくように、氷河が広がっている。やはり青い色をしている。
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いったん陸に上がって、セラーノ氷河を目指す。湖に氷河のかけらがぷかぷか浮いている。
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湖に流れ出すかのように、セラーノ氷河はある。
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最初にすごい氷河を見てしまっているで、あまり感動は無いのが残念。
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ここからはゾディアックと呼ばれる、頑丈なゴムボートでセラーノ川を上っていく。
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防水、防寒のコートに身を包む。
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ゾディアック乗り込んで出発だ。
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雪山を望みながら川を上っていく。今回はあいにくの天候で、景色も曇って見えにくかったが、ようやく少し晴れてきた。
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遠方に氷河が見える。
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こんな感じで、激流の中も進んでいく。
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上陸し、陸路、本日の宿を目指す。遠方にクエルノ・デル・パイネ(パイネの角)が見えてきた。
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パイネでは国立公園内ホテルのひとつ、HOSTERIA PEHOEへ滞在した。ホテルの前から、夕暮れどきのクエルノ・デル・パイネを望む。
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船から上陸して、ウプサラ氷河に向かう。
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このツアーでは氷河までの道のりを、4WDで行くか乗馬で行くかを選ぶことができ、ここから別れて出発する。
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自分と長女は4WDでオフロードを突き進んでいった。
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家内と次女は乗馬コースを選択した。
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雄大な景色を間近に見下ろしながら、なかなか満足できるツアーであったらしい。
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パタゴニアの静かで荒涼とした景色の中を進んでいく。
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雪山と湖が美しい。
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ウプサラ氷河が見えてきた。
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こうやって見下ろすと、なんとも雄大な氷河だ。
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見渡す限りが氷河だ。
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だが、地球温暖化の影響でこの氷河もどんどん後退して行っている。ガイドさん見せてくれている写真の上が70年前の様子で、現在の氷河がかなり後退しているのがわかる。こういう極地にやってくると、地球規模の異常がよくわかる。
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近くには、なにげにアンモナイトの化石があったりする。ここが昔は海であった証拠だ。
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再び4WDに乗り込んで港へ戻っていく。おんぼろ橋で川を渡る。
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砂埃を巻き上げて、原野を爆走していく。
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乗馬グループの娘達も颯爽と帰ってきた。
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パタゴニアの原風景を見ながら、再びカラファテの街へ向かう。
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日も暮れてきた。明日はバスでチリ側のプエルト・ナタレスへ移動し、パイネ国立公園へ向かう。
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今回は、ロス・グラシアレス国立公園で、もう一つの観光ポイントであるウプサラ氷河を紹介する。ウプサラという名前の由来は、スウェーデンのウプサラ大学がこの氷河の研究をしていたことから命名されたらしい。
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港から双胴船に乗り込む。
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遠くに雪山を眺めながら、静かな湖を進んでいく。
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あちらこちらに青白い塊が浮いている。
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氷河のかけらだ。
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大きさは大小様々で、色んな形をしているところが、なんか可愛らしい。
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眺めていると、色んなモノに見えてくる。
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これは全体的に丸みのある氷河。
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季節は夏だが、スキーウエアを着ている。いつもこんな感じで写真を撮ってます。
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青い氷が層になり、縞模様に見える。
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ピラミッドのような氷。
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恐竜が湖から頭を出しているかのような氷。
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遠くにウプサラ氷河が見えてきた。
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ソフトクリームのような氷、結構でかい。
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そうこうしているうちに、スペガッツィーニ氷河が目の前に見えてきた。結構な迫力だ。
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山の谷間に見えるのがウプサラ氷河だ。次回は陸に上がって、4WDと乗馬でウプサラ氷河に向かう。
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陸に上がり、遊歩道から氷河の全景を展望する。
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青白くそびえ立つ絶壁。
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南極の氷河はまだ見たことがないが、この氷河の大きさは、自分が今までに見てきた氷河とは比べものにならないスケールだ。
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こんな具合に、氷河の対岸に展望用の遊歩道がある。
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遊歩道を上っていくと、だんだん全景が見えてくる。
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遊歩道の高さや左右の位置で見え方が大きく変わる。
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氷河のきしむ音、崩れる音があちこちで聞こえるのだが、なかなかファインダーに納めることができない。
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これは、さっき崩れた後。
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最上部から氷河を見下ろす。氷河の上をアイゼンを付けて歩き、氷河の氷でウイスキーを飲むというツアーもある。
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パタゴニアの天候は、晴れたり曇ったり目まぐるしく変わる。天候によって景色も大きく変わる。
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崩れた氷河のかけらが浮いている。
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ここからのショットが一番豪快な景色が撮れる。
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また晴れてきた。氷河が白く輝きだした。
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真正面からこんな具合に見学できる。
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今度は間に合った。
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崩れるところをやっと撮ることができた。
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そびえ立つ氷河と、サファイア色に輝くその割れ目。
次回はまた違った楽しみ方ができる、ウプサラ氷河を紹介する。
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いよいよパタゴニアに向けて出発。ブエノスアイレスから国内線で空路3時間半南下する。
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何もない海岸線。
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荒涼とした景色の中を着陸していく。
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ペリト・モレノ氷河で有名な、世界自然遺産ロス・グラシアレス国立公園の玄関口、エル・カラファテ空港に到着。
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なかなか近代的な空港だ。
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この街の名前にもなっている、カラファテの実。ジャムなどで売られている。
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街を歩くと、食事処はステーキハウスとイタリアンばっかり。ステーキハウスの店先にはどこもこの様な光景が見られる。これは「コルデロ」といわれる子羊の丸焼きで、パタゴニアの名物料理だ。開いて遠火で焼いているのが特徴で、同じ子羊の丸焼きでも、ボスニア・ヘルツェゴビナで見た、串刺しの丸焼き(第49回)とは大きく異なる。肉食文化の発達したアルゼンチンならではの料理だ。確かに肉の臭みがなく、香ばしくて美味しい。
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今回の目的の一つ、ペリト・モレノ氷河を陸路目指す。街を一歩出ると、荒涼な景色が続く。
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遠方にペリト・モレノ氷河が見えてきた。
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まずは船から氷河を鑑賞する。
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断崖絶壁に近づいてきた。
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その高さと規模に圧倒される。
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パタゴニアの天候は目まぐるしく変わり、天気の状態で氷河の色が変わる。
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曇っていると、白く見える。
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晴れてくると、青白く輝き出す。アルゼンチンの国旗が妙にマッチする。
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氷河の裂け目が、神秘的な濃いブルー染まる。
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この氷河は毎日2mずつ移動しているらしい。耳を澄ますと、あちこちで氷河の崩れる音が聞こえる。
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なかなかシャッターが追いつかないのだが、氷河が崩落する景色が見られる。
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晴れてくると、氷河は輝き、全く違う光景を見せてくれる。
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次回は見晴台からの氷河の景色を紹介する。
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パタゴニアへの第一歩として、まずは、アルゼンチンの玄関口、ブエノスアイレスに入る。
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アルゼンチンは第二次世界大戦までは、日本を遙かにしのぐ世界でも有数の経済大国であったわけで、その首都ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれるほど繁栄していたそうだ。
日本から最も遠くにある大都市であるが、日本との関係は結構深い。
1913年には宗主国スペインよりも早く、地下鉄が開通しているのだが、日本初の地下鉄銀座線は、このブエノスアイレスの地下鉄をモデルにしたというのには驚きだ。だが、今は日本の地下鉄の中古車両が走っており、この国の没落度がわかる。
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パリのオペラ座、ミラノのスカラ座に並び、世界三大劇場のひとつとされる、コロン劇場。
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ブエノスアイレスのシンボル、オベリスコ。
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路線バスも発達している。
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街を歩いていると、まるでヨーロッパの街並みそのもの。
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どことなく寂れた感じがするのだが、かつての繁栄ぶりがうかがえる街並みだ。
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ここはレコレータ墓地というブエノスアイレス最古の墓地で、大統領をはじめ著名人が眠っている墓地だ。
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ここは立派なブエノスアイレスの観光地のひとつでもある。
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団体でやってくる観光客のそのお目当ては?
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ミュージカルや映画の題材にもなった「エビータ」のお墓だ。「エビータ」の愛称で呼ばれる、エバ・ペロンは、私生児から女優、大統領夫人にまでのぼりつめ、33歳で病死したという、波瀾万丈の人生を生きた女性で、アルゼンチンでは今も根強い人気があるそうだ。
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アルゼンチン・タンゴ発祥の地、港にほど近いボカ地区へ。
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カラフルにペイントされた家が並ぶ、ボカ地区の有名なポイント。
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生活の匂いがしておもしろい。
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タンゴショーを楽しめるレストラン。ボカ地区にはタンゴショーを見ることができる大小様々な店がある。
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今宵はアルゼンチンワインを楽しみながら、本場のタンゴを満喫する。
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自分が行った旅先で、日本から最も遠い場所、南の果て、パタゴニア。今回からはこのパタゴニアをシリーズで紹介したい。
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こうやって地図で見てみると、南米大陸はアフリカ大陸よりも、かなり南にまで位置しているのがわかる。その南米大陸の、アルゼンチンとチリにまたがった南の端の地域は、「パタゴニア」と呼ばれている。大陸でもっとも南極に近い場所なのだ。
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パタゴニア地域を拡大してみると、その右側にある島が、あのフォークランド諸島。1982年にイギリスとアルゼンチンが領有権を争った「フォークランド紛争」の舞台だ。イギリスはこんなところにまで領土を持っていたんだと改めて感心する。
今回の行程は、ペルーのリマから空路アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに入り、市内観光。ブエノスアイレスから空路3時間半南下してエル・カラファテへ、カラファテではペリト・モレノ氷河、ウプサラ氷河を見学。次にカラファテからチリ側のプエルトナタレスへバスで移動し、そこから船でパイネ国立公園へ入る。公園内のホテルに宿泊して朝焼け、夕焼けのパイネの絶景を満喫。帰りは陸路プエルトナタレスを経由して再度アルゼンチン側のカラファテに戻り、空路1時間南下して南の果てウシュアイアへ。ビーグル水道クルーズでペンギンやアシカの群れを見物し、南の果てを実感。そして、ウシュアイアから空路3時間半北上し、ブエノスアイレスへ戻るというもの。
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アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。昔は「南米のパリ」と呼ばれ、すごく繁栄していたんだろうと、その面影を感じる。寂れた大都会といった感じ。
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世界自然遺産のペリト・モレノ氷河。船から見ると青白い断崖絶壁。
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見晴台からみたペリト・モレノ氷河。氷河の上を歩くツアーもある。
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これはウプサラ氷河見学の途中に船から見たスペガッツィーニ氷河。ウプサラ氷河では4WDと乗馬から氷河を楽しんだ。
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チリ側の主役パイネ国立公園。夕日に染まるクエルノス・デル・パイネ(Cuernos del Paine:パイネの角)
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パイネ国立公園を象徴する、3本の岩峰 トレス・デル・パイネ(Torres del Paine)
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サルトグランデの滝から望む、トレス・デル・パイネ(Torres del Paine)。
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ウシュアイアからのビーグル水道クルーズで、船でペンギン島び接近。
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アザラシの群れ、大きな声で求愛する。
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夕暮れ時の灯台を見て、ウシュアイアの港へ戻る。この港から南極へのクルーズ船が出航する。いつかは乗ってみたい。
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明けましておめでとうございます。
2013年最初の更新はアタカマからウユニ塩湖シリーズの最終回だ。標高4200mを超える天空の世界に、何とも美しい湖があるという。このシリーズのクライマックスを紹介したい。
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標高4000m以上、樹木の生息出来ない森林限界を超えた世界をひた走る。
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何もない世界だが、つい写真を撮りたくなるぐらい美しい。空に吸い込まれそうになる。
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殺風景な景色の中に突然、赤い湖が見えてきた。これが標高4200mにある天空の湖の一つ、その名もLago Colorada (Red Lake)「赤い湖」だ。
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赤く見えると言うよりも、本当に赤い。その赤さが周囲の景色に何故かマッチしている。
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赤い湖にピンクの鳥が飛んでいる。フラミンゴだ。
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この辺の湖どこにでもいるというのではなく、何故かここにしかいない。
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ここの景色を見ていると、赤い湖の水を飲んでピンクに染まったかのように思える。
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こんな絶景を同時に見ているのは我々だけだというのが、何とも贅沢である。他には誰もいない。
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しばらく走ると、今度は湯気が立ち上る地帯に着いた。
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地面にクレーターのような穴が何カ所もあいていて、そこから湯気がモクモクと上がっている。
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周囲には硫黄の臭いが立ちこめて、いわゆる温泉の匂い。
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恐る恐るのぞいてみると、マグマのようにゴボッゴボッとどろどろの地面からガスが吹き上げている。
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再び、何もない大地をひた走る。
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また湖が見えてきた。
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右端はいわゆる天然露天風呂、観光客がしばし休憩している。この景色の中で露天風呂とは何とも贅沢だ。
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6000m級の山々を横目に、ひた走る。
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鮮やかなエメラルドグリーンが目に飛び込んできた。もう一つの天空の湖Laguna Verde (Green Lake)「緑の湖」だ。
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底抜けに青い空、茶色い山とのコントラストが本当に美しい。
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アンデスの山々を見渡す景色は本当に贅沢だ。
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バスの残骸も何故か絵になってしまう。こんなところをバスが走っていたのか?走れるのか?
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アンデスの山々を見渡しながら、オフロードを突き進む。
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ボリビアとチリの国境、ボリビア側のイミグレーションだ。何とも素朴な小屋なのだが、ちゃんと常駐の職員がいて、パスポートにスタンプを押してもらった。
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夕日で地面が輝きだした。
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もうすぐチリのアタカマだ。
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アタカマ近くの国境からチリに入国し、アタカマ経由でカラマには夜8時に帰着した。我々が今まで体験した旅行で最も苛酷な36時間であったかも知れないが、満足度200%の絶景であった。
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塩のホテルで一泊し、翌朝ウユニ塩湖で少し写真撮影して塩湖を後にした。これからボリビアを南下して、チリ国境近くの天空の湖を見て、夜にはカラマまで戻る12時間の行程だ。
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まずは標高3700mにあるウユニの街へ立ち寄った。小さな素朴な街だが、太陽の光が燦々と降り注いでいる。
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街の市場をのぞいてみた。
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結構色んなものが売られていた。ここでウユニ塩湖の塩をおみやげに買って帰った。
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ウユニの街を出発し、次の目的地、標高4000mにあるサンクリストバル村を目指す。
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何もないオフロードを突っ走っていたら、突然村が現れた。
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スクールバスが止まっている。村の学校か?
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これは村の中心に位置する教会。藁葺き屋根が素朴でいい感じ。
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どうやら学校の下校時間なのか、子供たちが出てきた。
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面白いのが、ここの制服なのか、皆、白衣を着ている。
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どこの国も子供たちの様子はよく似ている。
日本から遠く離れたボリビアの4000mの高地にあるこの小さな村が、日本と深い関係があるということに驚く。この村の近くにはサンクリストバル鉱山という世界屈指の亜鉛と銀の鉱山があり、日本の住友商事が出資している。
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サンクリストバル村を後にして再びオフロードを突き進む。
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緑のない世界だが、土が陽に輝いて、何とも美しい景色だ。
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途中で川渡り、このあたりが標高5000mらしい。ドライバーは何度も何度もこの川を行ったり来たりする。塩湖で付いた車の塩を落とすためだという。
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突然現れた奇岩群。
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皆面白い形をしていて想像をかき立てる。
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次回はシリーズ最終回、天空の湖を紹介する。
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今回はウユニ塩湖で、話のネタに宿泊した「塩のホテル」を紹介する。
Luna Salada Hotel (http://www.lunasaladahotel.com.bo)、おんぼろホテルしかないこの周辺では、かなり高級な部類に入るホテルだろう。外観を撮るのを忘れてしまったので、上記のホテルHPを参考にして欲しい。
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なんといっても、中のほとんどが塩でできている。
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ロビーの様子。椅子も全て塩でできている。
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床には塩が綺麗に敷き詰められている。
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暖炉の前の共有スペースもみんな塩。
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何か身体にいい感じ。
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これが実際の室内。塩でできたベッドには毛布とふかふかの布団が敷かれていて、朝夜の冷え込むウユニでは信じられないくらい快適に休むことができた。寝台だけのぼろベッドの上に寝袋で寝るのとは大違いだ。
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ちゃんとバスタブもある。なんとこのバスタブにはジャグジーが付いていた。お湯のシャワーが使えるだけでも珍しいこの辺で、何とも贅沢な話だが、さすがに湯量はシャワーを浴びるのが精一杯というところだった。
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レストランのテーブルや椅子も塩でできていたが、ちゃんとクッションがおかれていた。ここでは結構まともなコース料理とワインを楽しむことができた。
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ホテルの軒先にフクロウがいて、夕日に光っていた。
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ホテルから見た夕焼けの様子。
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塩湖が真っ赤に染まっていく。高台から塩湖を見下ろす立地にある、このホテルならではの景色だ。
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翌朝、早起きして日の出を拝んだ。今度は塩湖が青白く浮かんでくる。
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大地が赤く、塩湖が白く輝きだした。
次回はウユニの街から赤い湖、緑の湖を目指す。
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乾期の白い世界も素晴らしいが、雨期のウユニ塩湖が見たかった。地面に空が映り、空を車で走るような気分になるという、この時期はまだ乾期の始まりで、塩湖の一部に水の張った部分が残っているらしい。早々ドライバーに探してもらった。
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確かに水の張った部分が残っていた。
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地面が鏡のようになる。塩の山もきれいに対称にに映る。
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まさに鏡の上の車。
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塩湖を走りまくって、塩だらけになっている。
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地面が鏡になって空を写す。
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この景色が見たかった。息をのむ幻想的な風景だ。
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確かに、雲の上に立っているような気分になる。
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雨期には塩湖全体がこういう風景になり、この景色の中を4WDで爆走する。まさに雲の上を走る。
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次回は、自分たちが泊まった、塩で出来たホテルを紹介する。
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自分が見てきた色んな景色の中で、「白い世界」という表現が似合うのは、トルコのパムッカレとこのウユニ塩湖だ。
ウユニ塩湖には2つの顔がある。一つは乾期の白く干上がった広大な白い世界、もう一つは真っ白な地面の上に水が張り、鏡となって空を写す雨期の姿だ。自分は雨期の姿が何としても見たかったのだが、雨期は道がぬかるんで、今回のルートからのアプローチは困難になると言う。何としても雨期の姿が見たかった自分は、雨季と乾季の両方の姿が見られる、乾期の始まりに行くことにした。これが大正解だった。
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まずは乾期のウユニ塩湖から。塩の結晶が地表にも模様を作る。
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この広大な白い世界が、四国の半分の面積で広がっている。全く想像できない。
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ただ、ただ、白い大地が広がる。
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白い大地は、白いサーキットにもなる。この大地の上をランクルが猛烈なスピードで爆走する。
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地表にはサッカーボールのような模様が出来ている。
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近づいてみてみると。
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塩の結晶が自然に作り出した模様、何とも不思議な世界だ。
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皆、車を止めて、暫し不思議な空間を楽しむ。
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塩湖の上はほとんど何もない世界なので、大きさや遠近感がわからなくなってしまう。
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こんな写真をみんな楽しんで撮っていた。
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そんなウユニ塩湖で数少ない目標物が、このインカワシ島。
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この島を目標に、皆、ウユニ塩湖を走り抜けてくる。
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ちょっとした、ドライブのサービスエリアのような感じだ。
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この島には面白いサボテンが生えている。ムーミン谷のニョロニョロのようなサボテンだ。
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ウユニツアー定番の4WDランクル。通常は7人乗りで、車の上に荷物とプロパンのボンベを積んでいて、ドライバーや同乗のコックが、料理をしながらツアーを進めていく。
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これが塩湖の上に立つ、塩で出来た「塩のホテル」。
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これはあくまで見物用のホテルと考えた方がよい。恐らく下水もお湯もないだろう。自分たちの泊まる塩のホテル(Luna Salada)が出来るまでは、塩のホテルとして有名であった。
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イスやテーブルも塩で出来ている。
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ホテルの前に各国の国旗がたなびいていた。もちろん日の丸もあった。
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塩の採掘場だ。塩の山がピラミッドのように、整然とならんでいる。
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これがまたいい景色になる。
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自分も採掘してみようかと。。。
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日の当たり具合によって、景色が変わる。
次回は、雨期の塩湖を紹介する。
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さあ、ウユニ塩湖へ向けて出発だ。今回のルートは第56回の地図でも紹介したように、アタカマからチリ側をずっと北上し、ウユニ塩湖近くの国境でボリビアに入る。帰りは逆にボリビア側を南下し、アタカマ近くの国境からチリに戻ってくる。
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4月29日午前5時、まだ夜明け前の暗闇の中、借り上げた4WDに乗って、アタカマを出発した。
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日が昇ると、何ともすごい景色が広がっていた。
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今回の行程はずっと標高3000m以上で、途中最高5000mの地点を走り抜ける。
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当然の事ながら、この高さは森林が成育する限界を超えていて、見渡す限り樹木というものがない。緑が無い世界だが、日を浴びて茶色と黄色に輝いて美しい。
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近づいてみると、土と岩の世界。
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これが今回借り上げた車、三菱の5人乗りピックアップ4WDだ。おんぼろランクルを想像していたが、きれいな車だった。
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遠くに何やら動物を発見!
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ビクーニャだ。アルパカやリャマの親戚で、ラクダ科の動物。ビクーニャの毛織物は超高級だ。
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アタカマを出発して6時間、ボリビアとの国境に着いた。
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何とも殺風景な景色だが、空の青さが本当にきれいだ。
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ここは国境の駅なのか、たくさんの車両が止まっていた。
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止まっているのか、捨てられているのか、駅なのか、列車の墓場なのか。
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これが国境。向こうはボリビアだ。
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この辺りは、見渡す限りの地面が鉱物資源そのものだ、こういった景色は見たことがない。
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塩湖のように美しくはないが、鉱物で出来た湖だ。
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途中、トイレ休憩に立ち寄った村。このあたりは標高4000mを超えている、空の青さに吸い込まれそうになる。
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素朴で質素な村の様子。
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この民家でトイレを借りた。ソーラーパネルがあって驚いた。
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看板には、「ここ! ビール、ワイン、ラム酒、コーラ。。。」酒場なのか酒屋なのか、これほどの場末は無いだろう。
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村の教会とお墓。
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ここにもビクーニャがいた。
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なんかすごい景色が見えてきた。今までに見たことのない、不思議な感覚をおぼえる。
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とうとう到着、白い海のように広がる景色はウユニ塩湖だ!
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アタカマ一帯は世界で最も乾燥した地域だそうで、日本をはじめ世界各国が天文台を設置している。当然のことながら、星空や夕暮れがきれいだ。
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夕暮れどきになると、ビューポイントにツアー会社の車が集まってくる。
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見晴らしのいいところまで、岩山の尾根を歩いて行く。
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そろそろ日が沈みはじめた。サンセットショーの始まりだ。
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日が沈みだすと、気温は一気に下がってくる。砂漠なので日中と夜の寒暖の差が非常に大きい。
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茶色一色であった景色が赤く染まり出す。
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6000mクラスの山が「赤富士」のように輝き出す。
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茶色から赤茶色に変わり、最後は真っ赤に光り出す。
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サンセットショーのクライマックス。
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下に降りてみると、月の谷に月が出ていた。
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夜はレストランの焚き火にあたりながら一日の疲れを癒やす。
さあ、明日はウユニ塩湖へ向けて出発だ。
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テレビ番組で、ボリビアの高地にある、ウユニ塩湖という四国の半分程もある大きな塩の湖が紹介されていた。その白い世界を車で爆走するというもので、雨期には湖面に水が張って鏡の様になり、空が地面に映ってあたかも天空を走っているような感覚になるそうだ。調べてみると、その行程には何とも美しい赤い湖、緑の湖があるという。是非とも行ってみたくなった。
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今は首都のラパスから、飛行機でウユニへ行く方法もあるようだが、チリ国境に近い赤い湖(Lago Colorada)や緑の湖(Laguna Verde)を見るのであれば、ラパスから3泊4日の4WDツアーが一般的だ。でもこの旅程は辺境慣れしている我が家にもさすがにきつい。4000mを超える高地を7人乗りのランドクルーザーに目一杯乗って走る。ホテルと呼べるような宿泊施設はなく、夜は氷点下にもなる高地で、暖房もない小屋のベッドに寝袋で寝るというもの。さぞかし夜空は綺麗だとは思うが、さすがに子連れには厳しいと判断した。そこで、最短でこれら全て満喫して帰ってこれる行程をプライベートツアーで組んだ。
チリのサンチアゴから入り、国内線でカラマまで北上し、カラマから車で1時間のサンペドロ・デ・アタカマで一泊し観光を兼ねて高地順応。翌日から車とドライバーを借り上げて、アタカマを朝に出発しチリ側を北上し一路ウユニ塩湖へ向かい、ウユニ塩湖の塩のホテルで一泊、翌日ボリビア側を南下し、Lago ColoradaとLaguna Verdeなどの絶景を満喫しながら夜にカラマに到着する。アタカマ発一泊二日、丸36時間の行程だ。今回の行程はボリビアの旅行会社コルケツアーに依頼した(www.colquetours.com)。
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リマから一旦チリの首都サンチアゴまで南下し(空路3時間)、そこからカラマまで北上する(空路1時間)。カラマは鉱山の街、何にもない殺風景な空港だ。
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空港の周囲には荒涼な景色が広がる。ここから陸路で1時間のサンペドロ・デ・アタカマへ向かう。
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サンペドロ・デ・アタカマ(標高2400m)はチリで最も古い街だそうで、有名な観光スポットの一つ。この周辺だけでも絶景を十分満喫できる。
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街の雰囲気はペルーの高地とよく似ている。素朴な街だ。
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世界各国からの観光客でにぎわっている。高地順応を兼ねてここで一泊。明日の朝はウユニ塩湖へ向けて出発だ。
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せっかくアタカマに来たのだから、アタカマの有名な観光スポット「月の谷」へ。
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月の世界は本当にこんな感じなんだろうか。
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この月の谷でNASAが月面や火星探査機の実験を行ったという。
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奥に見える山の標高は6000m。
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影が出来てくると、より宇宙的な景色に見えてくる。
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緑が全くない、乾いた景色が広がる。
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実際に月の谷を歩いてみる。
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浸食で出来た溝は切り立った岩壁になっている。
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砂漠の中を歩いていく。
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地層がむき出しになっている。アメリカのグランドキャニオンに似た景色だ。
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砂山を駆け下りて遊ぶ人達。このアタカマ砂漠は南北に1000kmも続くという。
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この地域には浸食で出来た奇岩がよく見られる。
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次回は様々に色を変える、夕暮れの様子を紹介する。
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これから、中南米の美しい景色を紹介していく。特に南米の高地の景色は本当に素晴らしい。ただ、日本人が国内では到底経験できない高さを、徐々に高度を上げていく登山とは違って、いきなり体感することになるので、健康上のトラブルが多いのも確かだ。
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サンペドロ・デ・アタカマ近郊(チリ)標高4000m
自分は高山病の専門家ではない、また登山家でもアスリートでもない。唯一自慢できることといえば、ペルーで過ごした4年の間に、ごく一般的な旅行者として、ペルー、ボリビア、チリの高地を旅行して、家族と共に標高3500から5000mまでの高度を実際に体感したことと、仕事上で現地の医療事情をよく知っている、日本人としては珍しい医者だということだろうか。
またペルーに勤務中の職務として、高山病で重症化した日本人旅行者の救援保護に関わってきた。その経験と知識を元にこれから南米の高地を旅行する方に、高山病とその予防についてまずは書いてみたい。
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マチュピチュ(ペルー)標高2400m
以下の文章は自分が勤務中に大使館ホームページに書いた高山病についての注意書きで、まずは基礎知識として読んで欲しい。
高山病について
低地から高地に上がった時、その低気圧、低酸素状態に身体が順応できないことが原因で起こる一連の症状を言います。低地から2500mの高地に短時間で移動した成人の約25%に、何らかの高山病症状が認められると言われています。特に低地から飛行機で一気に高地へ上がると症状が出やすくなります。観光地として有名なクスコは3400m、ティティカカ湖は3800mの高地にあり、実際、リマからこれらを訪れた旅行者の多くが、何らかの高山病症状を経験すると思われます。軽度の山酔いから、個人の体質によっては比較的重い高山病を起こします。
高山病の初期症状は、頭痛、呼吸浅薄感、食欲低下、腹部の膨満感、などで、就寝後も眠りが浅く、頻回に目を覚ます不眠感も典型的な症状です。高山病は重症化すると肺に水が溜まる「高地肺水腫」や脳がむくむ「脳浮腫」となり、すぐに適切な治療を受けると共に、急いで低地へ下がらないと死亡に至ることがあります。
高山病の発症はその日の体調などによっても左右されるため、無理な日程は禁物です。特に高地に到着した初日は十分な休養を取るようにしましょう。過去に高地で高山病にならなかったことは、今回高山病にならないと言う保証にはなりません。ただし、過去に高山病の経験のある方は、特に注意を要します。また、低酸素状態は心臓や肺に大きな負担をかけるため、心臓疾患や肺疾患のある方は事前に医師に相談されること強くおすすめします。
高山病の予防
1. 高地に到着後、初日は十分な休養をとる。
(余裕のある計画を心がける)。
これがもっとも大事です。"ゆっくり、ゆっくり"を心がける。
2. 空港に着いたら"ゆっくり、ゆっくり"歩き、なるべく階段の使用を避ける。
3. 水分を十分に摂る。
4. 高地では低気圧、低酸素のため消化機能が低下するので、腹8分目に心がける。
炭水化物を多めにとり、脂肪分は控えめにする。
5. アルコールの摂取はできるだけ避ける。睡眠薬の使用も控える。
6. 高山病予防薬について
アセタゾラミダAcetazolamida(製品名ダイアモックス: Diamox)の内服は高山病の予防効果がある他、頭痛や不眠などの高山病の症状を改善させる効果があります。アセタゾラミダは日本では医師の処方箋を必要とする医薬品ですが、ペルーの薬局では処方箋なしでも購入することができます(空港内の薬局でも購入できます)。
薬局では必ず『アセタゾラミダAcetazolamida 250mg』と注文して下さい。
当地では『ダイアモックス』という商品名は一般的ではありません。
予防内服方法は、成人の場合 高地に上がる当日の朝より、
1日2回(朝と寝る前) 125mg (250mg錠ならば半分に割って)内服します。
服用後、手指にしびれ感を感じることがあります。
アセタゾラミダには利尿作用(尿の量を増やす作用)があるので、水分を十分に補給してください。高血圧や心臓病、糖尿病等慢性疾患をお持ちの方は内服前に必ず医師に相談してください。
薬局が勧める『SOROJCHI PILLSソロチピル』は単なる頭痛薬で、高山病の予防薬ではありませんのでご注意下さい。
以上
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雨のマチュピチュ(ペルー)標高2400m
特に、食事を少なめに食べることと、高地に滞在中は食事には特に厳重に注意して、決して冒険をせず、お腹の健康を保つことだ。高地でお腹をこわしてひどい下痢をすると最悪のシナリオになる。高級ホテルと言えども、野菜を含め出来るだけ生のものを避けるのが賢明だろう。
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ウユニ塩湖(ボリビア)標高3700m
また、ダイアモックという名前が
ペルーの薬局では通用せず、『アセタゾラミダAcetazolamida』という名前しか通用しないことも、おぼえていって欲しい。
特に『SOROJCHI PILLSソロチピル』には気をつけて欲しい。現地の人や薬局は「高山病の薬」としてこの薬を必ず勧めてくる。
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では、少しこの『SOROJCHI PILLS:ソローチェピル』に付いて説明する。
決してこの薬を非難するわけではなく、これは単なる頭痛薬であることを知って欲しい。
組成はアスピリン、カフェインなどで、日本の「バファリン」によく似た薬だ。つまりこの薬は鎮痛薬、解熱剤であって、確かに頭痛には効くが、高山病を予防する効果は無いといっていいだろう。
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雨期のウユニ塩湖(ボリビア)標高3700m
この『SOROJCHI PILLS』の飲み方には高地にいる間、8時間毎に服用するように書いてある。
通常の日本人が何日間も1日3回バファリンを飲み続けたらどうなるだろう。
高地ではお腹をこわすことは御法度だ、下痢は高山病を急速に悪化させる。胃腸の弱い人がバファリンを1日3回飲み続けたらどうなるか。。。逆に体調が悪くなるだろう。
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Lago Querococha(ペルー)標高3980m
現地で頭が痛いというと、薬局だけでなく、現地の人々や旅行関係者までも当たり前のようにこの薬を持ってくるので、十分注意して欲しい。当然、単発で飲む頭痛薬としては何の問題もないのだが。。
ペルーに勤務中によく受けた質問が、高地に子供を連れて行って大丈夫であろうか?と言う質問だ。その多くが南米の駐在員の家族で、せっかく南米に来たのだから、マチュピチュは是非見てみたい、というものだ。
子供は高山病に弱いとよく書かれているが、実際のところはよくわかっていない。ただ、子供が頭痛や嘔気で水分が摂れなくなったら、その悪化は大人より深刻になるだろう。
子供同伴の可否について、自分なりの一つの基準を持っていた。それは、体調の悪さ(頭が痛い、お腹が痛い)を自分で訴える事のできる年齢かどうかと言うことだ。個人差もあると思うが4〜5歳ぐらいが基準になるのではないかと思っている。
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パストルリ氷河(ペルー)標高5000m
自分は比較的高地には強い方であった。5000mでも何とか観光をこなすことは出来た。ただし、標高2850mにあるキト(エクアドル)への出張時、いつも到着初日はお腹が張って食事が進まず、夜は熟睡できずに何度も目が覚めた。高地から戻ると数日間は強い全身倦怠感が残った。高地では予想以上に体力を消耗する。
高地にあるホテルや空港には必ず酸素ボンベが用意してある。ホテルで体調が悪いというと酸素ボンベを部屋へ持ってきてくれる。自分は何度も高地へ行ったが、一度だけその酸素ボンベのお世話になりかけたことがある。行きなれたクスコ(3600m)へ友人を連れて行き、調子に乗って、いつになく夕食を腹一杯食べビールを飲んだ。その夜、異常な息苦しさに目を覚まし、もがきながら朝を迎えた。もう少しで酸素ボンベを頼むところだった。
高地では腹7分目が大事であることを、身をもって思い知った次第である。
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月の谷:アタカマ(チリ)標高2600m
唯一の高山病予防薬として認知されているダイアモックスであるが、飲んで調子が悪いという人も少なからずいる。できれば旅行前に数日服用してみて、問題ないかどうかを確認しておいた方がよいだろう。
最後にこれはあくまで私見であるが、高山病の予防に漢方薬の「五苓散」がその薬効から有効であろうと考える。
頭痛や吐き気や下痢の薬にもなるし、ダイアモックスよりも副作用が少なく効果があるのではないかと考えている。
高地へ出発する日の朝から1包(2.5g)を1日3回、高地に滞在中飲んでいればよい。
「五苓散」は小児科でも下痢や吐き気に頻用する薬なので、子供にも安心して使用できる。
次回より、アタカマ(チリ)からウユニ塩湖(ボリビア)への4WDでの旅を紹介したい。
※このブログを見てくれた読者から、高山病予防薬の処方についての問い合わせをクリニックにたくさんいただいている。
当院でも2014年4月1日より高山病予防薬(ダイアモックス)の処方を開始することとした。
詳しくは「高山病予防薬の処方について」をご覧下さい。
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